22.花も香もひかりをそゑてみる月の 萬づ世までもありあけの月

 (釈)花も香りも月の光の下で眺めるとその美しさは限りがない。ありあけの月の光はあらゆる世界までも美しく照らし出す。

 

忠廣公解説

同じ年の正月三日の哥のさま、わが身がゆるされて世に出る願いかなわせたまえ、とお願いした心ざまだろうか。

*忠廣公がいつもいつも願った「ゆるされて世に出る」という願い、この「塵にまみれたわが身」と自らを卑下する名前を冠した「塵躰和歌集」そのものが、その願いをエネルギーとしてなったものであろう。一年ののちに、ある出来事によって忠廣公の願いは無残にも断ち切られてしまった。当然の如くこの和歌集は断絶した。

もう書き続けていく動機も気力もなくなったからである。その原因となったものは何か。もう少し先を読み進めていけばおのずとその正体をみることができるであろう。歴史の探索は、あたかも推理小説を読むが如し、と云うべきか。(加藤注)

 

23.くもはれて浮世に出る三か月の 影もさやけき久かたの空

 (釈)雲がはれて汚れたこの世に、冴え冴えとした三日月がくっきりと空に浮かんでいる。

 

忠廣解説

同じ日の夜の三日月、夕方は曇り、戌の時(午後8時ころ)になると空がはれて、月が冴え冴えしている夜の空を眺めて思ったのである。右の哥と同じ気持ちで思い続けていた。

*月を詠んだ歌の多さに驚く。月を友とするしかなかった忠廣公の孤独を思う。それと同時に、バラバラになった家族たちが、それぞれの地で同じ月を見ているかもしれないという思いが、彼を月から離れがたくさせたのだろうか。(加藤注)

 

24.うき世をも夢の一と夜と見なしてぞ 萬代かざす花の梅がえ

 (釈)汚れたこの世を一夜の夢と思い、美しい梅の花枝が永遠に向かって差しかけているようだ。

忠廣解説

同じ年の正月四日の歌に、こう書いた。

 

寛永十年正月五日

25.いつかこのおくさと出て久かたの ひかりのどけき春にあふべき

 (釈)いつかこの奥里を出て、はるばると光のどかな春に会いたい。

 

同六日

26.むつごとを思出てぞはつ春の 色香もふかき名の櫻花

 (釈)妻との語らいを思い出した、初春の色も香りもふかい櫻花よ。

忠廣解説

櫻というものに私の心を投入して読んだ歌だ。

*忠廣公には崇法院と法乗院の二人の妻がいたが、櫻花と呼びかける時、真田公お預かりの法乗院を指していると思われる。法乗院は母方の四人の従妹の一人である。これら気心の知れた美しい従姉妹たちが、忠廣公のお気に入りだったのだろう。

庄内に従ったもう一人の従妹を後に側室として迎えている。しかしこの時、しげさんは十五歳であった。現在加藤家の子孫の多くはこの女性の子孫であろう。(加藤注)

この稿続く。

5月21日