春哥
紀貫之
1.袖ひじて結ひし水のこほれるを春立けふの風や解覧
(そでひじて むすびしみずの こおれるを はるたつきょうの かぜやとくらん)
(私訳)暑かった夏の日、袖を濡らしてすくった水が冬の間凍っていたのを、立春の今日、東から吹く風が溶かしてしまうだろう。
元斎解説
立春の日によんだものだ。「立春日東風解冰」(立春の日、東からの風が氷を解かす)という古語がある。この哥に、下冷泉家相伝の切紙がある。四季をよみこんだ歌だ。袖をぬらして水をすくうというのは、これ夏である。「結ひし」の「し」は過去であるから秋に言ったことである「冰」はもとより冬である。下の句は春、すなわち四季の転変を一首に読み顕わした妙句である。猶、相伝にあるべき哥であろう。
訳者注
切り紙、辞書には、武芸・芸道の免許状とある。元斎が下冷泉家に伝わる歌学を学んだことがこれで分かる。
よみ人しらす
2.梓弓押て春雨けふふりぬ明日さへふらは若菜摘てん
(あずさゆみ おしてはるさめ きょうふりぬ あすさえふらば わかなつみてん)
(私訳)梓弓を押すように、春雨に押さえられて今日若菜を摘めなかった。明日も降るなら、どうあっても若菜を摘んでしまおう。
元斎解説
「押(おし)て」とは押さえてという意味である。今日摘むはずだった若菜を雨にさえぎられて(押さえられて)摘むことができなかった。明日はどう降ろうと摘まなければならないという意味である。あずさ弓というのは、梓の木で作り始めたことから梓弓というのである。
訳者注
権中納言定家
3.降積る色より外の匂ひにて雪をは梅の埋む成けり
(ふりつもる いろよりほかの においにて ゆきをばうめの うずむなりけり)
(私訳)降り積る白い雪の間から、梅の赤い色よりも際立つ梅の香りで、雪を梅が埋めるのであった。
元斎解説
去年の雪は、梅の花びらの赤を白い雪で埋めつくした。梅の薫香の深い時はかえって、雪を花とみなして、その雪の花びらで雪を埋めたとみなすと、薫り高い真っ白な花びらとなるのである。
訳者注
真っ白な雪に埋めつくされた梅の花びらの底辺から、馥郁たる梅の薫香が漂い出て、逆に雪をその香りで埋めつくすという事であろう。
圧倒的な雪の力に、香りで対抗する小さな梅の花びらのさまを描いて見事だ。定家の哥を私が褒めてどうするのだ?
同定家
4.遅ときいつれの色に契けん花待比の岸の青柳
(おそきとき いずれのいろに ちぎりけん はなまつひの きしのあおやぎ)
(私訳)咲くのが遅い時はどんな色に咲いたであろうか。花が咲くのを待ち焦がれる岸辺の青柳。
元斎解説
東岸西岸柳遅速不同(川の東岸と西岸とでは柳の咲く遅速が同じではない。)
南枝北枝梅開落已異(南側の枝と北側の枝とでは梅の花の開落はすでに異なる。)
柳桜と言われて植えた木であるので、遅くなって咲くのであろうか、それとも早いうちに散ってしまうのかという事である。
あわれ、東岸に植えられた柳の花も早く咲くであろうかと期待しているように読める。
訳者注
和歌に、青柳。解説文には柳、梅、柳桜、柳の花とあって統一したイメージを持ちにくい。
和歌にある青柳は解説では柳桜と言い換えてある。漢文は独立した文であるから、柳と梅は除かれる。最後の柳の花は、結局柳桜とみると統一される。
つまり、定家が詠んだ青柳は柳桜という事であろう。
この稿続く
令和4年12月11日