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加藤清正歴史研究会 BLOG

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当塾塾長の加藤敦は加藤清正の末裔の一人です

末裔の一人として研究の成果を後に残しておく使命を感じております。 清正公の嫡男で、二代目熊本藩藩主の加藤忠廣が、直接の祖先となります。徳川3代将軍家光による「改易」以後の加藤家の歴史と山形県庄内藩の歴史を調べています。
忠廣公の死によって加藤家は断絶しますが、酒井忠勝公、忠當公親子の温情で子孫は生き伸び、家臣と共に帰農し、大庄屋となった加藤家末裔が農民の身分で、後に酒井公に降りかかった二度にわたる「領地替え」にどうかかわったか。
庄内藩主酒井家への莫大な「恩義」に応えるために幕末、旧熊本藩藩士(後、庄内藩藩士に取り立てられた七人の侍)の末裔がどう応えたか。特に戊辰戦争において、14万石に過ぎなかった庄内藩が、無敵であったこと。なぜあれほどの強さを示すことができたのか説明できるでしょうか。

また、刀の完璧なコレクターだった加藤清正公のコレクションは、現在そのほとんどが未公開のまま、東京国立博物館に眠っています。
名刀正宗を含む、推定200本を下らないであろう名刀のみの完璧なコレクションを何としても見なければなりません。清正公の熊本藩経営の歴史を、曾孫であった8代将軍徳川吉宗公がどう観たのか、尊崇する曾祖父の偉業を自らの「享保の改革」にどう生かしたのか、調査しなければなりません。
明治10年、西南戦争で、西郷隆盛を慕い、助っ人に行って散った若い庄内藩士200名は、築城の名人と言われた加藤清正によって築かれた熊本城を攻め、攻め落とすことはできませんでした。難攻不落の城であることを図らずも証明し、全員帰らぬ人となったことは、やはり歴史の悲劇ではないでしょうか。なぜ父祖の築いた城塞と戦わなければならなかったのか。かの人々の歴史はやはり明らかにされなければなりません。
忠廣公の嫡男で改易とともに飛騨高山城主金森重頼公お預けとなった加藤光正の子孫を名のる神通寺の前住職朝戸氏とお会いしました。光正公は改易の翌年17歳で謎の死を遂げ子孫はいないものと思われてきました。
 私は以前からそのことに疑問を抱き、昨年の11月に、ようやく、朝戸氏とお会いする事が出来たのです。光正公は、小説の題材にも取り上げられ、悪戯好きで、暗寓な人物と言われてきましたが、違います。今のようなジャーナリズムのなかった当時は、単なる講談話が繰り返し語られるうちに、いつしか史実と勘違いされていった、膨大な歴史の一つに過ぎません。


加藤清正歴史研究会

加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(89)

同十七日 (295)かりそめにうゑし夏菊秋までも 奥里なれば花もながむる   (かりそめに うえしなつぎく あきまでも おくざとなれば はなもながむる) (釈)ふとした思い付きで植えた夏菊が、予想外な

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(88)

    おなじく十五日 (292)くもりなき月の光も名をそゑて 庭草までも玉みがく露   (くもりなき つきのひかりも なをそえて にわくさまでも たまみがくつゆ) (釈)曇りなき

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(87)

同十一日 (287)あをかゑで暮にもみぢに成べきぞ 秋も八月の詠むら雨   (あおかえで くれにもみじに なるべきぞ あきもはづきの ながめむらさめ) (釈)青い楓の葉も暮れになれば美しい紅葉になるは

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(86)

同七日 (283)しきたゑの錦の野辺ぞ千とせまで 千草の花にさくをみなへし   (しきたえの にしきののべぞ ちとせまで ちぐさのはなに さくおみなえし) (釈)千草の花に彩られた敷布の錦のような野辺

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(85)

  寛永十癸(みずのと)酉(とり)年八月三日の哥に言へり (279)にしのかた秋来てひかりさし出づる 三か月影のながめたえぬ世   (にしのかた あききてひかり さしいずる みかずきかげの 

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加藤忠広「塵躰和歌集」全訳(84)

同年八月二日の歌に言う。 (277)小櫻の青葉露とふ成る木つき にほひもにたりおなじ花色   (こざくらの あおばつゆという なるきつき においもにたり おなじはないろ) (釈)小櫻ももう青葉に露を置

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(83)

同晦日 (275)夏ををしみ初秋までもみそぢ日を そへて月すむながめことなり   (なつをおしみ はつあきまでも みそじびを そえてつきすむ ながめことなり) (釈)みちのくの短い夏をおしみ、季節はは

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(82)

同二十八日 (273)しなのなるこはぎにそへてさく花も 露しほれけん山影のには   (しなのなる こはぎにそえて さくはなも つゆしおれけん やまかげのにわ) (釈)信濃にいる小萩に寄り添って咲く花も

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(81)

同二十六日 (271)にほひこそ人にはだふれねたるよの むかし恋き契夢路   (においこそ ひとにはだふれ ねたるよの むかしこいしき ちぎりゆめじ) (釈)その手紙にたたまれた匂いこそ、肌触れながら

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加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(80)

同二十四日 (267)秋風にふきてたなびく草木葉の なみにうかべる清き池水   (あきかぜに ふきてたなびく くさきばの なみにうかべる きよきいけみず) (釈)秋風に吹かれて落ちた草木の葉が、澄んだ

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