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塾長挨拶
英数研究セミナー塾長 加藤 敦
大阪外語大卒(現、大阪大学)
指導歴:30年以上
生徒さんたちはなぜ塾へ来るのでしょうか。 「たくさん勉強するためです」確かにそうでしょう。しかし、本当は少しでも先の事を、つまり未来の事を知りたいためではないでしょうか。 人の知らない先の事を知っていれば難しい事柄に出会っても、適切に「対処」できるでしょう。逆に不意打ちでは混乱して正しい対応ができません。あらかじめ心の準備ができていれば何事にも、落ち着いて「対処」できるのです。 韓国で起こった悲惨なセオル号の事故の事を思い出してください。不意打ちのために大混乱に陥ってしまった人々の不安と恐怖がまざまざと感じられて大変お気の毒でした。
大阪外語大卒(現、大阪大学)
指導歴:30年以上
生徒さんたちはなぜ塾へ来るのでしょうか。 「たくさん勉強するためです」確かにそうでしょう。しかし、本当は少しでも先の事を、つまり未来の事を知りたいためではないでしょうか。 人の知らない先の事を知っていれば難しい事柄に出会っても、適切に「対処」できるでしょう。逆に不意打ちでは混乱して正しい対応ができません。あらかじめ心の準備ができていれば何事にも、落ち着いて「対処」できるのです。 韓国で起こった悲惨なセオル号の事故の事を思い出してください。不意打ちのために大混乱に陥ってしまった人々の不安と恐怖がまざまざと感じられて大変お気の毒でした。
ライフジャケットの適切な指示も救命ボートの用意もなかったのです。乗客の方はみんな責任ある者の指示を待っていました。先頭に立つ人間が正しい判断を下せなければ、国も、会社も、どんな集団でも崩壊してしまいます。 東日本大震災の時の大川小学校の悲劇も校長先生が不在の中で起きました。 むしろ、人はいつリーダーを任せられるかわかりません。いつでもかわりにリーダーになれる人間でなければいけません。 私たちが学習するのは、未来を知るためです。未来を知って大切な時に判断を誤らないためです。過去の歴史を学ぶのも未来を知るためです。皆さんが塾に来てくれる。私は「先生」の語源どおり「先に生まれた者」としてできるかぎり皆さんの未来を指し示したいと思っているのです。
英数研究セミナーが目指すもの
森鷗外の研究で知られる東大名誉教授の小堀桂一郎氏が、本年の産経新聞(1月9日)に、次のように書いておられます。 「教育の文脈から云つても義務教育段階に於ける国語能力たる読解力、言語表現力(会話と作文を併せ考へて)、語彙の豊かさ等は、即ち子供の総合的知力であり、この力を十分身につけた者には自然に人生万般に亙る自信が具はつてくる」(旧漢字旧かな遣いで書かれています) 「人生万般に亙る自信が具はつてくる」。まさにこれです。そのもととなるのは、「国語能力たる読解力、言語表現力、語彙の豊さ」とおっしゃっている。 私自身大阪の大学に通っていた頃、小説家を目指して、ロシアの小説家ツルゲーネフや三島由紀夫の、特に短編小説を中心に研究していた頃です。私自身が思い描いた事象を、ほぼ間違いなく正確に文章に書き表せるようになったと感じた時、ただそう感じただけだったかもしれませんが、なぜか自己に対する何とも言えない自信のようなものを感じたことを、私は小堀氏の文章を読んで思い出すのです。 世に教育論はあまたありますが、私の考えが間違っていなかったことを、この碩学の言葉から確信します。 古来我が国の庶民の学問は「読み書きそろばん」でした。これが間違っていなかったことは、歴史が証明しています。 しかし現在においても、小学生や中学生ばかりでなく、高校生の中においてすら、簡単な文章を自在に読むことができないために自信がなく卑屈に傾く寂しい生徒さんが少なからず存在する事を否定できません。個人にとってこの問題は悲劇です。国語だけではありません。英語となると悲惨者の数は数倍となります。また算数の問題も深刻です。九九ですら自由にものしない生徒さんも少なくありません。 「読み書きそろばん」(広く言えばリテラシーの問題)を高度に結実させることが現代社会においても依然として、礎石であることが理解できるでしょう。受験勉強ですらその延長線上にあることを忘れてはなりません。当塾の目指すものはそういった基本的原理に基づいたものです。