森鷗外の研究で知られる東大名誉教授の小堀桂一郎氏が、本年の産経新聞(1月9日)に、次のように書いておられます。
「教育の文脈から云つても義務教育段階に於ける国語能力たる読解力、言語表現力(会話と作文を併せ考へて)、語彙の豊かさ等は、即ち子供の総合的知力であり、この力を十分身につけた者には自然に人生万般に亙る自信が具はつてくる」(旧漢字旧かな遣いで書かれています)
「人生万般に亙る自信が具はつてくる」。そのもととなるのは、「国語能力たる読解力、言語表現力、語彙の豊さ」とおっしゃっている。
私自身大阪の大学に通っていた頃、小説家を目指して、ロシアの小説家ツルゲーネフや三島由紀夫の、短編小説を中心に研究していた頃です。私自身が思い描いた事象を、ほぼ正確に文章に書き表せるようになったと感じた時、ただそう感じただけだったかもしれませんが、なぜか自己に対する何とも言えない自信のようなものを感じたことを、私は小堀氏の文章を読んで思い出すのです。
世に教育論はあまたありますが、小堀氏の教育論は実にシンプルで明快です。私の考えが間違っていなかったことを、この碩学の言葉から確信します。
古来我が国の庶民の学問も「読み書きそろばん」でした。この上にあらゆる学問・芸術・科学・文化が栄えたことは、歴史に見る通りです。
しかし現在においても、小学生や中学生ばかりでなく、高校生の中においてすら、簡単な文章を自在に読むことができない生徒さんが少なからず存在する事を否定できません。個人にとってこの問題は悲劇です。国語だけではありません。英語となると悲惨者の数は数倍となります。
「読み書きそろばん」(リテラシーの問題)を高度に結実させることが現代社会においても依然として、礎石であることに変わりありません。受験勉強ですらその延長線上にあることを忘れてはなりません。当塾はそういった基本的原理を大切にしているのです。                  (ホームページより)