5.名にしおはゞあふさか山のさねかづら 人めすなをにくるよしもかな

 (釈)つるが分かれてもふたたび逢って寝るという名を持つさねかづら。ひとめを気にせず妻が来てくれればよいな。

*さねかづら(真葛):山地に自生する常緑つる性の低木。冬に赤い実をつける

 

忠廣公解説

 強く思う気持ちがあって、願いをかけて書いたものである。古哥を少し変えただけのものだが、やはりちょっと素晴らしいと思う。強く思い思いした7月ころのことのはだっただろう。

 

6.ながれ行きうきふししげくわびぬれど みをつくしてもあふよを思ふ

 (釈)配流の身となってつらく悲しいことが重なり思い悩む毎日だが、それでも何としても家族と家臣みんなが再び逢う世を待ち焦がれている。

 

 忠廣公解説

これは、七月九日の夕方、あらゆることが物憂く憂鬱に思いあまった時に書いたものだろう。

 

7.はるの日のかすみのうちの浮雲は くるまかへるも夢のよの月

(釈)春の日の霞の上を浮雲が静かに流れていく。「車帰り」と云う坂の夢をみた夜の月のそばを。

 

忠廣公解説

ふるさとの事を思い出し、配流のものわびしい身の上なのでこう書いた。道に「車帰り」という坂があったので、ただ言葉をつなげて書いたのである。

 

8.思ひこそ藤かめ松にやなぎいろ みなおりつるよさかゑ有の身ぞ

(釈)思いは子供達、藤かめ松にやなぎいろ、みんなそろっている。みんな将来ある身だ。元気に育ってほしい。

*藤かめ松にやなぎいろ:藤は、藤松正良(8~9歳くらいか)、かめは亀姫(1歳未満)、母親はともに玉目丹波の娘法乗院。松は光正公(15歳くらい)、やなぎいろは光正公の妹(10歳くらいか、ほとんど不明)、母親は徳川家康の孫崇法院。(加藤、注記)

 

 忠廣公解説

 強く願いを込めた歌だ。そのわけはわざと書きおかない。

この稿続く。