9.色々に思ひをわけてまつ人も いまぞ浮世の夢のはかなさ

 (釈)色々な思いを分け持って待つ私の家族たちも、その思いは、今は配流の身のはかない夢となった。

 忠廣公の解説

 寛永九年の十月二十日の夜、強く思っていた望みがかなうことなく失望の思いから書い

た歌であろう。

*忠廣公は京都にいる家臣(加藤平左衛門、田寺庄兵衛)に命じて、改易の許しを得るよう徳

川に働きかけをし、許される日を毎日のように心待ちにしていた。この日忠廣公のもとに、

最初の活動の結果がもたらされたのではないか。(加藤注)

 

10.さかりをも霞へだつなさくら花 おもひやりてもなをおしき春

(釈)わが子供たちの成長を、妻よ、少しでも霞で曇らせないように努めてほしい。いくら思いやっても、惜しい子供たちの春。

忠廣公解説

子供たちの成長の大切な時期を惜しんで詠んだ和歌である。寛永九壬申年十二月十日の朝に書きつけたのであろう。右の歌は一枚の紙に書いてあったのを書き写したものなので、時期が前後したものが多い。

*真田家お預けとなった妻法乗院、まだ幼い藤松正良、乳児の亀姫を思いやった歌であろう。子供たちの心を育てる最も大切な時期が重苦しい配流の生活によっておおわれることを惜しみ、子供達の成長を慮っている。

*「塵躰和歌集」は、改易の日からほぼ一年にわたって、折に触れほぼ毎日書いた和歌を、3年後に解説を加えてまとめたものである。ここで、一枚の紙に書かれた右の歌と云うのはどこから始まる歌の事を云うのか不明だが、「次第前後多し」と正確さにこだわる所に忠廣公の性格が表れているものと思われる。(以上、加藤注)

 

11.ありかいもなき世の中の名のうさや おもはぬ里にすめる夜の月

(釈)生きるかいもない世の中の落ちてしまった名前のせつなさよ。住むことになった思いもよらぬ里にかかる澄んだ夜の月。

忠廣公解説

 または、次のように直してある。

12.ありかいもなき世の中の名のうさや おもはぬさとにすむ月の影

(釈)省略。

忠廣公解説

 また、次のようにも直してある。

 

13.ありかいもなきよの中の名のうさや くもるや月も露のをく里

(釈)省略。

忠廣公解説

これは、月の光が曇ったのでこう書いた。この三首はみな、寛永九壬申年八月十五夜に、書いたのである。

*「くもるや月」は、原文では「くるもや月」となっているようだ。忠廣公の解説から間違いが明らかなので、書きなおした。(加藤注)

この稿続く。

5月15日