同十七日

43.清水の花のさかりをみやこ人 けふも櫻をかさしつれ天

 (釈)清水の満開の櫻の下を、都の人々は今日も櫻の花枝を髪に差してのどかな日を楽しんでいるだろう。

忠廣解説

十七日の杦(すぎ)原(はら)では、このような折に、「清水の柳もみどり春もけふ花の都に袖かざしてん」(清水の柳も新緑の今日の春、櫻美しい都路を袖を飾って歩きたい)と云う書付があった。またその杦原での歌に、和歌などの秘伝を書きつける「きり紙」に「清水の花のさかりをみやこ人けふも櫻をかざしつれ天」(櫻が満開の清水を、都の人々が今日も櫻の花枝を髪に差し歩いているだろう)と書きおいていた事を、寛永十三丙子(ひのえね)年二月九日に見い出した。よくよくみれば、吉野山がとても風情がありいつまでも眺めていたかったので、その時書きおいたものである。

*杦原は、地名だと思うがわからない。地名だとすればどこだろう。庄内か、江戸か、京都か、熊本か、また忠廣公にとってそこが、どんな意味のある場所だったのかもわからない。おわかりの方はぜひ教えてください。(加藤注)

 

  同十八日

44.松がえにひかり(ママ)をにほふ春 かすみはれゆき世に出る袖

 (釈)松の木の枝に光が美しく映えるすばらしい春の日、霞もはれゆきいよいよ許されて世に出る時だ。

 

45.松がえにひかりをそゑてにほふ春 かすみはれゆき世に出る袖

忠廣解説

これは願いがかなった、と思った時の気持ちで書いたものだろう。ふかい思いは筆に表

すのが難しい。気持ちが沈んだ時の哥か。

44の歌には「そゑて」が脱落しているか。だとすれば、まったく同じ歌だ。

許されて世に出ると云う思いが、忠廣公のすべてだったのだろう。改易と云う事態を受け入れることができず、毎日が、すぐに覚めてしまうかもしれない夢のように感じられていたに違いない。(加藤注)

 

同十九日

46.ふかみ草むかしの色はおもほえぬ 春は来れとも刑見とやみん

 (釈)もう昔となってしまった。わが姉、あま姫の牡丹の花のような美しさ。春が来て牡丹の花をみるとあまの事を思い出す。

忠廣解説

十九日は特別な日で、形見とは亡くなった姉の事を云うのである。

*あま姫は、清正公の長女。豊臣秀吉公の死去に伴って、朝鮮出兵から戻る時、対馬で生まれた。海女に取り上げられたことから、あまと呼びならわした。本人も自分を「あま」と言っていたと、この和歌集の記述にある。四歳年上の美しく聡明なこの姉を、忠廣公は慕っていた。十九日の月命日には忘れずに、彼女を歌に書き残した。

 

47.たちつづくこだちめづらし花わかみ 香をのこしをくにはの小櫻

 (釈)木立がたくさん立ち並んでいる中に、幼い花が咲いている。小櫻のかぐわしい香りが、庭の奥いっぱいに漂っていた。

忠廣解説

この哥の作意、十九日の夜だったか、夢に小櫻と思われるものを見て、何ともかぐわ

しい懐かしいにおいを感じて書いたものだろう。

この稿続く。

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