同四日

65.春の日のながながしくもあしびきの 山や霞の長閑けからまし

 (釈)足引きの山鳥のをのしだり尾のような長々しい春の日に、山すそが霞に覆われ、のどかならよいのだが。

忠廣解説

 世の中をつらく苦しいものと思い続けてきたので、春と言ってもこの配流の里では、長く退屈な一日にもなお、物思いが紛れるように気持ちを向けても、霞も見えず平穏でのんびりした様子もない奥山里であるので、このように考え続け書いた。

*「参考」柿本人麻呂 小倉百人一首

  足引の山鳥のをのしだり尾のながながし夜を獨りかも寝む (徳川義宣注)

 

同五日

66.つき日けふそへし昔を思ひ出(いで) かいもなぎさのとりのあとまで

 (釈)月日を経たずいぶんむかしの事を今日思いだした。その時の貝もいない渚の鳥の足跡までも。

忠廣解説

過ぎた日の事を思い出して、今日こう書いた。

  •    題知らず   源景(みなもとの)明(かげあきら)

あるかひもなぎさに寄する白波の間なくもの思ふわが身なりけり

(生きているかいもない、渚に寄せる白波のように、やむ時もなく物思いをしているわが身であることだ。)    日本古典文学全集 新古今和歌集 小学館

参考まで(加藤)

 

同六日

67.やまとがた神代のはじめつくりおきし 佛の道も末はかわらじ

 (釈)大和の国の神代の初めにつくられた仏の道も、後代の今になっても変わらず健在だ。

忠廣解説

この哥の作意は、詳しく言えば、六日に本證院という僧がお話しして、古今和歌集の中

にこういう古哥があると云って、「あふことは玉のをばかり名のたつはよし野の川の瀧つ瀬のごと」(逢った時間はほんの一瞬なのに噂の立つのは、まるで吉野川の急流のようなごうごうたる速さだ)(古今集第十三 恋歌三)

「玉のを」を「玉暫」ともあるという。「瀧つ瀬のごと」を「瀧つせのをと」ともあると言う。このように色々な事を語って、酒井宮内殿の奥様とややうちとけて仲良くする気持ちで詠んだ哥として、「隔ぬるさかひのゆきもとけそめてむめが香うつるにはの姫松」(酒井と丸岡を隔てる雪も解け始め、梅の花の香りが漂い始めた庭の姫松)と言いやったのだ。後に、この二人の間柄も良くなったと言っておられた事を思い出してやはり大和の国の事だからと、六日の歌に大和心を入れたのである。

*本證院と酒井公の奥方はうまくいっていなかったということか。あれほど心やさしい酒井公であったが、奥様はやはり別物か。意外で面白いエピソードだ。珍しいユーモアを感じる。本證院は後に又出てくるので、ご期待願いたい。(加藤注)

 

  同七日

68.心づくし霞隔つる古里の たより音する末松風や

 (釈)霞が隔てて見えない古里から、心づくしの便りがやってくる。末松という松風の音とともに。

忠廣解説

この歌の作意、加藤頼(よりも)母方に古里から荷物などが来たのを、末松と云う人が江戸から送ってよこしたと云う事を聞くにつけ、風のたよりの訪れなども聞けば、こんな事も考えて書いたのである。

この稿続く。

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