2017.06.28 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(20)英数研究セミナー加藤敦
85.かまたりも夢心ちなるたびなれや ほどなく世にもあふさかの関
(釈)鎌足も一睡の夢だと思っているだろう。もうすぐ、私の旅も許されて世に逢(あ)う、逢坂(あうさか)の関所だから。
忠廣解説
この哥の作意は、加藤家の先祖の心を夢に見て、鎌足についての物語などを思い出して、こう書いたのである。
*加藤清正公は藤原鎌足(中臣鎌足)を始祖と仰いでいた。この歌を読むと、京都にいる二人の家臣、加藤平左衛門と田寺勝兵衛による忠廣公の赦免を求める請願運動が猛烈に行われていたことが推測される。清正公の遺産が惜しげもなく使われていたのだろう。忠廣公は解放される日が近い事を信じて疑わなかった。(加藤注)
86.たらちねの父のかたかま身にそへて ふたゝび名をもおぼえける武者
(釈)父親の形見の片鎌鑓を身につけて、ふたたび世に名前を知らしめる武者となる。
*清正公の槍と言えば、片鎌鑓が有名だ。この鑓は、たくさんあったにちがいない。加藤清正の子孫といわれる家には多く伝わっているようだ。
我が家でも、明治十六年生まれの祖母の言葉として伝わっている話がある。山形県東田川郡押切新田村にあった祖母の家には、「大きな刀箪笥があって、なかを開けるとおびただしい刀がぎっしりつまっていた。部屋の框(かまち)には槍がはいっていた。」というのである。
子供の頃、私は框(かまち)に入れておくと綿埃だらけになって気持ちが悪いと思ったものだが、長い槍を框(かまち)に保管すると云うのは理にかなっているように思われる。(加藤注)
同二十日
87.かなしきや人にはよらめどいまの世は よくは大山儀は言葉まで
(釈)悲しいかな。人にもよるだろうが、今の世の中は慾は大山のように大きいのに人への義理は口先だけ。
忠廣解説
これの意味は、今は特に憂き折柄なので人の心はいやしく、言葉にする価値もない物
事がある。この庄内の名所に大山という里があると人から聞いて、言葉をつづけてこう書いたのである。
*忠廣公には多くの人に会う機会はあまりなかったと思われるが、どのような人と会ってこのような感想を持ったのだろうか気にかかるところだ。(加藤注)
同二十一日
88.春の夜の夢心ちにもにほひいろの こうばしき名ぞ花さくらなり
(釈)春の夜の夢心地で見た懐かしいにおいのその人は、かぐわしいその名、我妻櫻花であった。
忠廣解説
この哥の作意は、懐かしい人の姿を夢に見て、春でもあり、いっそう心が軽やかになった。
*嫌な事があった翌日に、法乗院の夢を見て気持ちが晴れやかになったのだろうか。(加藤注)
同二十二日
89.あまの川すみえもぬなわあみにして わたりこしなんこいちや心に
(釈)不明
忠廣解説
天野濟江卿という人に、お茶を振舞った。その日時を後に知るために書いたものである。
*この歌よくわからない。「すみえ」は墨絵か、「ぬなわ」が皆目わからない。書き間違いか。「あみにして」は「網にして」か。これも、いよいよわからない。(加藤注)
この稿続く。
6月28日