同二十四日

92.神佛のめぐみもたえじやまと心 人のなさけも世にふかきたより

 (釈)神仏の恵みもまだ絶えていない、大和心よ。人の情けもこの世にはふかい頼(たよ)りとするよ、その便(たよ)には。

忠廣解説

昔住んでいたところから僧侶が来てたよりを綴ってくれると聞いて、とりあえず書いてみた。

*ここで言う「たより」とは何だろうか。きっとありがたいものに違いないのだが、よくわからない。この僧侶は熊本本妙寺の日乾上人のような高僧であろう。はるばる忠廣公を訪ねて来てくれたのであろう。

本妙寺は清正公が造ったものだが、加藤家改易によって禄を失う危機にひんしていたが、特に注意する人があって、肥後を領する事となった小倉藩主細川忠利公が今までと同じ禄で待遇する事となり、小康を得た。(加藤注)

 

同二十五日

93.すがわらやふしみのさとの我宿を おもひやりてもあはれなりけり

 (釈)菅原の伏見の里よ。昔住んでいた住まいを思い出すと、なつかしさでしみじみとした思いに捕らえられる。

忠廣解説

伏見に菅原という言葉が入った古哥があったので、今日それを思って書いたのである。

*「参考」(徳川注)

いざここに わが世は経なむ 菅原や 伏見の里の 荒れまくも惜し

古今和歌集 第十九 雑歌下 よみ人しらず

(釈)さあここに、生涯住むことにしよう。この菅原の伏見の里が荒れ果ててしまうのが惜しいから。(加藤釈)

 

同二十六日

94.いにしへのすみなれしところありのままに 今朝見し夢のさむるおしさよ

(釈)昔住んでいた住まいが隅々までありありと今朝の夢に出てきた。あまりの懐かしさにその夢の覚めるのをなんと惜しいと思ったことか。

忠廣解説

即ち、二十六日の朝がたの夢に、故郷の住みなれたところ、特に四畳半の座敷の様子も

細かく見え、心も昔に戻ったようになった。これを後々のお話の種にしようと、い

つもの常の夢として、このように書いたのである。

*故郷の僧侶に逢ったことがこの夢を呼び起こしたのだろうか。夢というのは不思議なものだ。今は非現実が一瞬現実となったかのように人を支配する。それが甘美であるが故に、夢であることに気付いたとしても、短い時間その夢を見続けようとし、そして、それは可能なのだ。

豊かな過去を持った人間が過酷な現実に苦しんでいる時、華麗な過去の生活が夢として現れ彼を救済しようとする。しかしそれはあくまでも非現実でありまやかしなのだ。忠廣公がいつの日かその夢から解放され、現実に生きる日がくるであろう事を確信する。

それにしても、忠廣公がいつも住んでいた座敷が、四畳半の小さな部屋であったことは意外なことであった。(加藤注)

 

同二十七日

95.もじずりの忍のうちに櫻(さくら)川(かわ) ありとみゆるは波の花かな

(釈)忍ぶ草の蒔絵が描かれた硯箱の中に入っている小刀の鞘に、櫻の皮(さくらがわ)が巻かれている。櫻の皮と見えるのは波に浮く櫻の花びらであろう。

「参考」後撰 巻三 春歌下 紀貫之

常よりも春べになれば櫻川波の花こそまなくよすらめ  (徳川注)

(釈)川の名前が櫻川であれば、春になればいつにもまして、川面に浮く花びらが隙間なく打ち寄せてくるだろう。(加藤釈)

96.ふた忍ぶふたもじずりのみだれずば 奥里人の物おもえ袖

(釈)硯箱の蓋に描かれた忍ぶ草がみごとで美しいので、奥里人の作物を見直したのである。

忠廣解説

この哥、忍ぶ草の蒔絵の硯箱の中に入れてある小刀の鞘に、櫻の皮で巻いてあると

ころを見て、春の川面の様子が美しく心に浮かび、書いたのである。

*この忠廣解説は95の哥の解説と見るべき。96の歌は、硯箱の蒔絵を評価したものと考える。(加藤注)

この稿続く。

7月2日