2017.07.04 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(24)英数研究セミナー加藤敦
三月朔日(一日)
101.水むすぶ彌生あしたのこゝろには 花のいろかもまさるかほなり
(釈)両手で川水の水をすくう彌生朔日(やよいさくじつ)の朝のすがすがしさの中に、花の色も香りにもいつもよりも美しい表情がある。
忠廣解説
今朝硯の水を掬っていた時に、四方の景色が何とも言えず長閑で美しく思ったのでこのように書いた。
*忠廣公は清浄な汲みだしたばかりの水を、硯の水として使っていたのだろう。阿蘇南郷にある高畑城趾西側の断崖を下だった清水の湧く所に「忠廣公硯の水」があると言う。(「増補加藤家の人々」轟一郎)P99.
幼いころからの習慣だったかもしれない。(加藤注)
同二日
102.いまながむこぶしの花のにほひにも いとどおもひぞいづる花の色
(釈)いま眺めているこぶしの花の匂いにも、何ともいえぬ思いを誘われる花の姿よ。
忠廣解説
この哥の作意、何とも深い香りの花の色と姿、この二日にこぶしの花を眺めて考えていると、古武士(こぶし)という言葉を連想して、この花の名前も姿も古武士を思わせると、面白く思ったのである。
*大坂の陣を最後に戦のなくなったこの時代、武士の本当の姿として古武士という概念が憧れとともに生まれたのであろう。忠廣公は父清正公の姿を、雄勁で美しい満開のこぶしの花に重ねて見たのであろう。(加藤注)
同三日
103.花の春にあいつるごとくことしより 人の心も花なさまし
(釈)まるで三千年に一度しか花を咲かせず実をつけない花に会ったようなのに、私の心を花よ決して冷まさないでくれ。
忠廣解説
古哥の心の喜びを、我心の喜びとして思い入れて言った。
「参考」拾遺和歌集 巻五 凡河内躬恒 (徳川)
三千年(みちとせに)になるてふ(ちよう)桃の今年より花咲く春にあひにける哉
(釈)三千年に一度花を咲かせ実がなると云う桃の木が、今年ようやく花が咲く春に会ったことだ。(加藤)
*「花なさまし」とあるのを「花なさましそ」(花よ冷まさないでおくれ)という懇願の意味に捕らえた。有名な「な・・・そ」である。(加藤注)
同四日
104.梅の花ににたる花かなには櫻 宿になけれど枝おりてぞみる
(釈)庭櫻というのは梅の花に似た花だ。我宿の庭になかったので枝を折ってみた。
忠廣解説
庭櫻という梅に似た小さな木を庭に植えたので、これを見ながら書いたのである。
同五日
105.春雨の面白かりきあけぼのに 都に出づる夢の嬉しさ
(釈)春雨の降る京都は風情があってよかった。あけぼのの夢で京に登った嬉しさ。
忠廣解説
又は、「夢ぞ嬉しき」と直して言った哥もあった。この三月五日の朝、夢の中で京都に
出て、嬉しさで心が沸き立ち、すぐにその気持ちを哥にしたのである。
この稿続く。
7月4日