同六日

106.あきはてゝ野邊のあはれもおなじいろの 春のけしきもやどの物うさ

 (釈)途方にくれてしまった私の気持ちは、まるで秋の枯野と同じありさまのようだ。長閑な春の景色も心持も、宿の人のために台無しになった。

忠廣解説

人のあり様や心だての悪さを見て、途方にくれてしまった私の気持ちを、荒涼たる秋の野辺にたとえて書いた。

*忠廣公は一体誰に怒っているのだろうか。憂鬱に支配されたかに見える彼の怒りは、はたして正当なのだろうか。

忠廣公に従った家臣は23名と思われる。思われると云うのは、寛永九年六月十八日に庄内へ参着した者20名の名前が、庄内藩の「大泉紀年」に記されている。他に、後から熊本から従った会計方の渡会勘助、また名簿に記載されていない甲斐市郎、永原清太夫がいる。この人たちも後組みかもしれない。すると合計23名となるはずである。彼らは皆、忠臣であることは間違いない。このような忠廣公の怒りがなぜ生まれたのだろうか。

*城とはいえないものの、立派な構えを持った武家屋敷を、忠廣公が「やど」と表現している。忠廣公にとってここはまだ、いつか去っていく仮の宿にすぎなかったということである。(加藤注)

 

同七日

107.袖ふれし色香もたえぬこざくらや 花枝にそゑてうゑをきし櫻

 (釈)ふと袖が触れたたおやかで香りふかい小櫻よ。花と一緒に庭に植えておいた櫻だった。

忠廣解説

小さかった櫻の木を花とともに庭に植えて、密かな思いを込めて書いた。本当の意味は語らない。

*「理、筆にのこすのみ」とあれば、人に語れない事を語っているのである。「こざくら」は、亀姫を指すであろう。

 

108.いにしへを夢に見るよぞおほかりき 鷹すゑ扇人よろこびかたりして

 (釈)むかしの事を夢に見る夜が多くなった。鷹を据え持って、扇を使い、人と楽しく語ったりして。

忠廣解説

この哥は昔の事を夢に見て、大鷹を据え持って、扇なども使いながら、色々な世間話しして心楽しく過ごした様子を夢に見たので、こう書いたのである。

*過去の夢が彼を慰め彼を苦しめる。夢が忠廣公にとって唯一の現実だったのかもしれない。奥山里の現実は彼に何事も語らない。ただ夢のみが彼の現実に風穴をあける。(加藤注)

 

同八日

109.かこひこめておりおりにさかぬ庭椿 春や木ごころにあいておほくさく花

 (釈)折々に咲く庭椿なのだが、囲い込んでいたせいか咲かなくなってしまった。春になると気心(きごころ)もあって多く咲くようになったよ。

忠廣解説

奥山の庭の椿花、冬から春にかけて折々に咲く花なのだが、囲い込めておいたせいだろうか、折々に咲かぬようになった。二月の頃は春時のせいか花がたくさん咲いているのを見て、このように詠んだのである。

 

同九日

110.彌生にも詠(な)がむる時は梅の花 ふたゝびふれる雪にもにるかな

 (釈)梅の花が二月にも咲いているのを見て、白い花びらなので再び降った雪のようだと思う。

忠廣解説

奥里の梅の花が、この時咲いているのを見て、これを再び降った雪かと思う。ずいぶん昔の哥心を思い出して、白い花なので言ってみたのである。

「参考」堤中納言集(秩父宮家本)櫻 (徳川注)

雪のごとちりくる春の櫻花冬はのこれる心ちこそすれ

(釈)雪のように散って落ちてくる春の櫻の花びら。冬がまだ残っているような心地がするよ。(加藤)

 

同十日

111.つくしにもかわらぬ物は時のいろぞ 彌生の雨のしづかなるあさ

 (釈)なが年月変わらぬものは、季節のたたずまい。春雨の降る静かな弥生の朝よ。

忠廣解説

十日の朝、雨が細やかに降るのを見て詠んだ。

 

112.こうばしきにほひきこゑてありがたき 佛の清(き)よき心とぞ思ふ

 (釈)香り高いにおいがする。誠にありがたい、この香りこそ仏の清い心だと思う。

 

又、言う。

113.花の香を春雨につゝむ心ちして はしばし風にもるにほひこそ

 (釈)花の香りを春雨が包んでいるような心地がする。あちらこちらから風の中から漏れ出るように花の香りが漂ってくる。

忠廣解説

この二首の哥の心、ちょうどその時端居にいた私に、仏前にたく香の匂いがこま雨に包まれて漂ってくるように思われてありがたい気持ちがしたので、心も自然に清くなってこの歌を思いついて書いたのである。

この稿続く。

7月6日