2017.07.09 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(27)英数研究セミナー加藤敦
121.ともすればわするゝひともあらまし物を 面影櫻見て思(おもい)ぞます
(釈)ややもするともう忘れてしまった人もあるかもしれない。面影櫻を見て私の思いはいよいよ募る。
忠廣解説
三月十五日の夜に、暮れかかったころに詠んだ哥なので、あとから又書きつけたのである。とまり櫻と名付けている櫻の花をこの時見て、匂いが深くあふれるようで、耐えがたくなって、その花の色と香りがかぐわしくまるで人(あま姫)と変わらない姿だと思って、心が昂じてこのように思いだして詠んだものだ。
*「面影櫻」、「とまり櫻」は七年前に没した美しい異母姉、あま姫を指す。このあと、136の哥まであま姫への思い出と思慕が語られる。前に書いたが、あま姫は忠廣の七歳年長である。(加藤注)
122.月影も今宵はここにとまり櫻の 花珍敷(めずらし)きやどりとぞ思ふ
(釈)月も今夜はここに泊(と)まるだろう、常と違ってここは清らかで美しい櫻花の宿と思うから。
忠廣解説
これは、とまり櫻の花の上に今まさに、十五夜の冴えた月影がさしかかり、その月も花
の色も何とも言えぬ美しさなので、こう思い続けたのである。
*異母姉であるあま姫への尊敬と思慕がここに極まっているように思われる。
妻の法乗院に対する思いとはもちろん異なる。法乗院は自分の従妹で、熊本の祖母の実家に行けば女子の多い家族が忠廣公を歓待してくれる、という気安い雰囲気の中に育ったのに対して、あま姫は榊原康勝公の妻だった人として、少し距離をおいたところから、その優しい美しいまた気高く芯の強さも併せ持った人となりに、尊敬の思いを込めて江戸屋敷において、接していたものだろう。今は藩主となっていた七歳年下の忠廣公に対して、色々教えることも多かったのではないかと想像される。(加藤注)
同十六日
123.色もかもとまり櫻の心ぞと おもひも出づる花のかほばせ
(釈)色や香りこそとまり櫻の心なのだと思う。色々な思いがあふれ出るこの花の顔。
忠廣解説
三月十六日、十五日にとまり櫻といふ櫻の花枝を見てから、たかまる心を今日まで抑えることができなくて、花の色香に心をひかれ、まるで人(あま姫)に変わらないと思いなして、こう書いたのである。
*七年前に去った異母姉に対する絶唱というべきか。(加藤注)
124.浮世かなみてればかくるいざよひの 月の上にもくもりやあるらん
(釈)浮世だね、満ちたと思ったらすぐに欠けてしまう十六夜(いざよい)の月。月にも雲があるのだろう。
忠廣解説
三月十六日の夜に入って、月に対してこのように思い続けたのである。
*天国にいるあま姫にたいして、自分は浮世の住民だと云う情けない思いがあるのだろう。(加藤注)
同十七日
125.うすいろのにほひもふかき八重の梅に とまり櫻の色もおなじ花
(釈)うす色の香りもふかい八重の梅。とまり櫻の色も同じで同じ花のように見える。
忠廣解説
今宵十五日に、とまり櫻と名付けて言っているとまり櫻の花枝を見た時、櫻と同じような八重の梅の花枝をひとつ甕に差し添えると、色香もあまりにもふかく、いよいよ待ちきれなくなったので、香ばしみ人(あま姫)を花の色に見なして詠んだのである。
*この解説と次の哥から、忠廣公がとまり櫻の花を見たのは、配所の庭ではなくどこか他のところだと云うことが分かる。外出の記録だ。
「あまりたえがとうなん有て」は、「あまりに耐えがたくなって」、だが、私は「いよいよ待ちきれなくなって」、と訳した。
忠廣公はだいたい、あま姫の命日の十九日に、彼女の思い出を語っているのだが、この八重の梅を見たのは十五日、和歌にしたのは十七日である。それで、十九日まで「待ちきれずに」、十七日には書いてしまった、ということなのであろうと考えたのである。
このあま姫に対する忠廣公のオマージュは、彼女の命日の十九日まで続く。このオマージュを一つでもたくさん読みたいと思う。(加藤注)
同十八日
126.今宵よりはわが庭こそとまり櫻の 木をうゑおきて花は春まつ
(釈)今宵からわが庭にもとまり櫻の木を植えて、来年の春に花が咲くのを待つとしよう。
忠廣解説
この三月十八日の哥に、このとまり櫻という櫻の木を庭に植えおいて、とまり櫻の哥
を詠んだ。この櫻は色香があまりにも耐えがたいほどに高く、匂いもみごとなほど深く、顔つきが香ばしみ人(あま姫)に思いなして、もう亡くなった人なので、おもかげ櫻とも名付けて哥に詠んだのである。古哥の心と言葉を思い入れた。
*この日から忠廣公の庭に、とまり櫻が植えられた。(加藤注)
この稿続く。
7月9日