三月二十一日

133.人しらぬこうばしみ人のわらひがほに 花の盛ぞ面影にしてみる

 (釈)私にしか見せたことのない香ばしみ人(あま姫)の笑い顔は、満開の櫻の花をかすかに面影として見るほかない。

忠廣解説

右の哥の訳(わけ)は、あま姫と同じおもかげ櫻の花の色や、顔かたちを心に深く思い入れて

何度も繰り返し詠んだ歌だ。

*もしかしたら、あま姫は心からの笑顔を忠廣公以外の人に見せたことのない人だったかもしれない。忠廣公のあま姫に対する惻惻(そくそく)たる思いが伝わってくる。この歌を是非心にとどめておいていただきたい。(加藤注)

 

134.庭鳥の人なつきがほに庭に出て すなをにうとふ春のあさかな

 (釈)鶏が人懐っこそうな顔つきで庭にきて、素直な陰りのない声で歌うさわやかな春の朝。

忠廣解説

三月二十一日の朝、たまたま庭の中に鶏がやってきて人懐っこそうな顔つきで、心も素直に、声も朗々と立派に歌う心で、春の長閑な朝そのもので、物思いするそぶりもない様子に色々興味をひかれたので詠んでみた。

*忠廣公の物思い顔と対照的に、鶏の我関せずと云ったまっすぐで素直な様子がユーモアを感じさせて面白い歌だ。(加藤注)

 

三月十二日

135.おもかげの櫻の花を見てしより こうばしみ袖を猶思ひぞ出づる

 ()あま姫の面影を彷彿とさせるおもかげ櫻を見てからというもの、この櫻を見るとすぐに香り高い袖の事を思い出す。

忠廣解説

この哥の意味は、二つ前の面影の哥の心とまっすぐ一つにつながっているであろう。

 

同十三日

136.おもひかへしおもひかへして思ひみれば とまり櫻を見ておもひぞいでます

 ()何度も何度も思い返していると、とまり櫻を見ただけであま姫の思いが現れる。

*十三首にわたって、姉のあま姫の思い出が語られたことに驚きを覚える。その歌のどれにも失われた人に対するせつなさが込められていた。(加藤注)