同二十八日

141.櫻ぼけの花えをたごのうちに入て ちる花うかぶ清き水かげ

  (さくら木瓜のはな枝を擔桶のうちにいれて、 ちるはなうかぶきよきみずかげ。)

()櫻と木瓜の花を一緒に擔桶の中に入れると、落ちた花びらが、汲んだばかりの清らかな水に浮かんで活き活きとして美しい。

忠廣解説

この哥の作意。たごの中に活けておいた櫻の花枝と木瓜の花枝とがひとつになって、少しずつ散った花びらが、ひと方に流れ散って、清く澄んだ水に花びらが浮かぶ様を見て、花もいっそうみごとに見え、水の澄みわたる景色があまりにも美しいのを見て、こう思い書いたのである。これは三月二十四日の夕暮方に見て、直ちにそこでこのように歌を詠んで、二十八日に書きつけておいたものだ。

*この解説を読むと、清浄な美しいものに対する忠廣公の感受性がまっすぐに伝わってくる。(加藤注)

 

142.櫻えが風にしだるぞかいどうの ねふれ花の春の夕暮

  (櫻えがかぜにしだるぞ。海棠の、ねふれ花の春の夕暮れ)

()まるで櫻の花が風に吹かれてしだっているようだ。折り取ったので根のない海棠の花の春の夕暮れ。

忠廣解説

この哥の作意。彌生二十六日の夕方に、海棠の花の枝を近くにあって所からおり取って

見たところ櫻の花のような心地がして、色も素晴らしく懐かしく思い、以前に書いた歌を思い出して二十八日にこのように詠んだのである。

*忠廣公は垂れぎみに咲く海棠の花を見て、風に吹かれる桜を連想し、同時にそこに懐

かしい人の存在を感じたのであろう。美しい花を見て、ただちに人の実在を感じる忠廣公は、人のオムニプレゼント(遍在)に対する感受性を高く持っていたのであろう。(加藤注)

 

同二十九日

143.花にこそなごりおしみはありなめと わが身世に出て春をまちたき

   (はなにこそなごりおしみはありなめと、わがみよにでてはるをまちたき)

(釈)庭に植えた花には、別れる時の名残惜しさはあるだろう。とは言え、赦されて世に出た身で春の花々が咲くのを待ちたい。

忠廣解説

又は「おしくは」とある。また、「我世に出て」ともある。この哥の作意。この路の奥山里の庭に花の咲いた木などをたくさん植えて、次の春にもこれらの花を見ることは、この里に永年月住むからこそなのだ、と思ってみれば、厭なことだと思い返して、花には名残惜しさはあるけれど、次にくる春の彌生の頃には赦されて世に出ることもあるかもしれない、と思う気持ちがあってこう書いたのである。

*殺風景な奥山里の庭に、忠廣公の好きな花々を植えていくことは、そこに永く住まい土地に根付いていくことを意味しはしないか。思いと行いのディレンマを語ったものだろう。この言葉から、彼は解放の日が近いと感じていたことが分かる。(加藤注)

 

寛永十癸(みずのと)酉(とり)年四月朔日

144.うゑをきし花ものこして世に出ば ころもかへうき時にやあまあらまし

   (うえおきしはなものこしてよにいでば、ころもかえうきときにやあまあらまし)

  (釈)植えおいた花を残してここを去る時は、花の色に染まった袂の衣を替えたくないと古人が歌っているように、私もここを出ていきたくないと思うことがあるかもしれない。

忠廣解説

この哥の作意。古哥の「ころもかゑ(へ)うき」と言う言葉を今いる奥里の庭の花を見捨てて、ここを出て世に出ることがあれば、好きな花だけに名残惜しい気持ちが出てくるだろう、と言う歌の心である。

「参考」 拾遺集 巻二 夏 源重之(しげゆき)

花の色にそめし袂の惜しければ衣かへうきけふにもあるかな 

(徳川注)

*「時にやあまあらまし」の「あま」の部分が不明だが、解説文より、「そういう時に会う事があるかもしれない」と解釈した。それにしても忠廣公の思いは切迫しているのだろうか。それとも、ふと浮かんだただの思いなのだろうか。自分が好きな花で庭を飾ることは、今自分が家臣を介して強力に推し進めている解放に向けた動きと矛盾する、そこの微妙な違和を感じていると思われる。(加藤注)

この稿続く。

9月29日