157.こむらさき藤の花えの露の身かと ふるき色かほたえずぞおもふ

   (こむらさき ふじのはなえの つゆのみかと ふるきいろかお たえずぞおもう)

 (釈)小紫蝶は藤の花の露の化身かと、むかしの姿を忘れることなく思いだす。

忠廣解説

色香という歌の言葉や藤という言葉を思い出して、小柴に咲く藤の花を見て花の色香がとても深かったので、以前にも詠んだ歌の、花の色香深い心言葉や匂いも忘れることができない気持ちを思いだして詠んだ歌であろう。涙にくれたさびしい気持ちも深く思いだしたのでいっそう哥の心も筆に書きつけることができない事ばかりとなって、さわりのない気持ちのみを書きおいたのであろう。

*藤の花を見て藤松正良を思うと同時に真田公に預けられた家族みんなのことをせつなく思いだしたのであろう。お預かりの身となった家族のことを、日記のようなものの中ですら筆にすることはできなったのであろう。(加藤注)

 

同十四日

158.御のり心につらなりてや見ゆる小筆あと 青葉櫻のころもにぞのこれる

  (みのりこころに つらなりてや みゆるこふであと あおばさくらの ころもにぞのこれる)

 (釈)尊い仏のお心に誘われたのだろうか、亡くなった人の筆の跡が、青葉櫻の皮に残っている。

忠廣解説

この哥の作意、四月十四日に本證院のお話しに、昔いつもそばにいた人の筆跡を褒めて、「今

日ある人がくれたのです」、と言って昔いつもそばにいた人の小筆の跡が櫻の木の皮に哥を

書きつけた色紙を取り出して見せてくれたので、なお一層その筆勢が美しく懐かしく思っ

て、その人の姿や優しい心根を今眼前に見る気持ちがして、この人は常に法華経を念じて

いた事を思えば、今日まさに釈迦のお生まれになった四月八日、というただならぬこの折

りにこの人の筆跡を僧が見せてくれたこと。「仏法の力に惹かれ出てきたのだろうか」とあ

れこれ考えて、極楽浄土の言葉にある「つらなる」(誘われる)という言葉をこの歌に詠

んだ。本当はもっと心深いものであろうが、私の筆が及ばぬばかりなのである。

*この人は忠廣公の腹違いの姉、あま姫であろう。「その人のすがた、こゝろばせのありさ

ま」と原文にあることから分かる。忠廣公が最も親しみ敬愛した女性である。本證院と

いう僧はあま姫を身近で見知っていたようであるから、この人も江戸の屋敷から忠廣公に

供として出羽丸岡に着いてきた一人であろう。

156番目の哥、「はやく発句をせよ」と言った僧もこの本證院であろう。(加藤注)

 

同十五日

159.うす霞すずしき月の夏ごろも 花のかも清くすめるさわ水

  (うすがすみ すずしきつきの なつごろも はなのかも きよくすめるさわみず)

  (釈)うっすらとした霞が夏の衣のようにすずしく月にかかり、花の香りも深く、庭の沢水も清く澄んでいる。

忠廣解説

この哥の作意、奥里の屋敷の庭に引いた沢水も、衣替えをした夏衣もすずしく、夏もさ

わやかな時分であったので、その時目に入った景色を思い、言葉続きに詠んだものだ。

 

同十六

160.はるばるとおもひもよらぬ庄内に きてしも花を見る藤ばかま

  (はるばると おもいもよらぬ しょうないに きてしもはなを みるふじばかま)

 (釈)はるばると思ってもみなかった庄内という奥里に来てしまったが、そこでも咲いていた藤の花。

忠廣解説

この哥の作意、一年前の六月の半ばに庄内に下って、その頃、藤ばかまという花をある人

がその土地の人にすき(お茶会,數寄とも書く)に呼ばれて行った時、座敷の囲いに入れ

てあったのをもらって持ち帰ったのを見せてくれた。藤ばかまと言ったその花、色や姿、

枝の付いたその形などを面白く思って、卯月十一日にその時の花に似た花を見たとき、以

前に見た藤ばかまの花の表情を思い出して書いたのである。

*哥に詠われている藤ばかまは、一年前庄内に着いたばかりの頃に見た花を思い出しなが

ら歌ったもので、現在四月十一日に見た花はその時の花の思い出を誘い出してくれたものなのである。

なぜこんなにややこしいのかというと、一年前に見た藤の花が、離れ離れになったばかりの妻や子供達を思い出させたからである。忠廣公は再び藤の花を見てその時の思いを鮮やかによみがえらせたのであろう。一年前の歌はこうなっていた。

3.花も香もをきまよふらん藤の露 春と夏とはあきゆきてまつ

 (はなもかも おきまようらん ふじのつゆ はるとなつとは あきゆきてまつ)

 (釈)今は秋、花を見、香りを聞けば、藤の花に露が降りたのかと見誤れる。春と夏は秋が行ってから待つのが良い。

忠廣公解説

この歌は寛永九壬申年八月八日の夜、この思いによって願うことがあるので思い続け書いたものである。詳しくは筆にしても仕方がないので、この通りとなった。

(加藤、引用、注)

平成30年1月20日

この稿続く。