161.こゝろだに信々妙連ねんじぬれば 霞はれ行みよし野の春

  (こころだに しんしんみょうれん ねんじぬれば かすみはれいく みよしののはる)

 (釈)こころから南妙法蓮華経を念じていると、不快だった霞がはれてゆき、まるでみよし野に春が訪れたようになった。

忠廣解説

この頃気分が悪く、今日の十一日の夜になって熱が出て苦しんでいたが、薬はまだ飲まないで身を安静にしていると、汗などが出て少し気分が良くなってきたので、心に念じていたことを思い出して詠んだものだ。

*インフルエンザにでもかかったのだろうか。病気になってもすぐに薬を飲まず自然治癒をこころざすと云うことは、いくらでも薬はあったであろう大名においても普通に行われていたのかもしれない。(加藤注)

 

同十八日

162.たのみある人の言の葉けふきくも すくなるみちのならひ成るらん

  (たのみある ひとのことのは けふきくも すくなるみちの ならひなるらん)

  (釈)信頼している人の言葉を今日聞いたが、風流の人のリップサービスでなかろうか。

忠廣解説

この哥の作意、鶴岡という所から使いの人が来て、帰りにある人の家に立ち寄って話をして、この奥里に住んでいる人は、まもなく許されて世に出る取沙汰が巷間で広く言いなされている由を、細かにこちらの人間に語られたようだが、この事を聞いてこの歌を詠んだのである。十八日の言の葉に書きつけておいた。

*鶴岡城から酒井公の家臣が使いでやって来たのであろう。帰路、ある「人の宿」に立ち寄って語った内容が衝撃的だが、ようするに城下の人々の好意ある噂話なのだろう。加藤家の改易のことは武家社会だけでなく、広く人口に膾炙されていたということであろう。

それにしてもこの信頼できると云う人に対する忠廣公の冷淡な反応が気にかかる。あれから約10カ月、繰り返された失望で人を信じなくなっていたのであろうか。(加藤注)

 

同十九日

163.うつつなきうつ木の花見てしにも 露あはれぞ思ひまされる

  (うつつなき うつぎのはなみてしにも つゆあわれぞ おもいまされる)

  (釈)中が空洞の茎を持つうつ木の花を見ても、さびしさのあまり亡くなった人の思いのせつなさに涙する

忠廣解説

この哥の作意、花は春になると咲き続けるので再び目で見ることができるが、花の色香のように麗しく美しかったあの人の身は散って、亡骸は二度とふたたび咲くことのない花のようだ、と思ってこの十九日は思いをかける人の命日なので命の無常を思い詠んだものだ。

*あま姫の命日になると忠廣公は欠かさず、姉を供養しその人の思い出に浸っている。この姉に対する忠廣公の尊崇と憧憬と失われたものに対する痛ましい思いは、表現されたものの中で出色のひとつであろう。忠廣公にとって死とは何か、それは二度と再びその人に会うことができないと云うことであろう。(加藤注)

 

同二十日

164.嵐にもいとわずさきし花色ぞ こがねの岑(みね)と見なすやまぶき

  (あらしにも いとわずさきし はないろぞ こがねのみねと みなすやまぶき)

 (釈)嵐の日にもいとわずに咲いていた鮮やかな花色よ。まさに黄金色(こがねいろ)の峰と言ってよいほどの雄雄しい山吹の花よ。

忠廣解説

この哥の作意、山吹の花が咲いていた峯は、まるで黄金のように見え、まさに山吹という名前なので、嵐もいとわず頂の峰にも咲くのだと思われた。その心を詠んだ。

*忠廣公は配所から近くに見えていた金峰山(きんぼうざん)に登ったのであろうか。忠廣公は後に山伏のいでたちで、月山、湯殿山とともに出羽三山のひとつの羽黒山(はぐろざん)に登るのを楽しみにしていたと言われる。強い雨風に打たれながらも身をしなやかによらせながら咲き続ける黄金色のかれんな花を、彼は何にたとえたのであろうか。(加藤注)

平成30年1月21日

この稿続く。