2018.02.07 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(38)英数研究セミナー加藤敦
四月二十五日
169.かくはあれどのぼりくだりしつぼのみぞ あはれなさけのちゃにや有らん
(かくはあれど のぼりくだりし つぼのみぞ あはれなさけの ちゃにやあるらん)
(釈)そうではあるが、京へ上ったり下ったりできるのは茶壺だけだ。何とも人の情けは茶の上にしかないのだ。
忠廣解説
この哥の作意、今年の春に茶壷らを宇治へ遣ること。四月十六日に壺らを整えて、「茶を詰めさせてお送りしましょう」と言われるままに壺を取り出し茶を自分の壺に入れ替えて宇治に遣る壺を人に渡させたところ、「すぐに茶を詰めて庄内にお送りしましょう」というのを聞くと、「私はこのような憂鬱な奥里に住んで外に出られないのに、この壺どもは毎年上方を行き来して、こっちへやってくるのだ」と思って、このように書いたのである。「人の情けは壺の上のみにあるのか」と思う風流の心もこもっている歌であろう。
*自虐的というのだろうか。ユーモアもあって面白い。
二月三日の哥参照のこと。
63. つゝいつのいつゝにつめしちゃのこまで ひきつれてくるみちのあわれさ
(釈)京都に送りつけてあった五つの茶壷に、茶菓子に似せて光正の手紙までしのばせて入れてきたよ。茶の道のなんという尊さよ。
「ちゃのこ」を「光正の手紙」としている理由は全訳(14)を参照してください。
(加藤注)
同二十六日
170.鶏のはじめの時をつげし後 雨にさそひてや鳴郭公
(にわとりの はじめのときを つげしのち あめにさそいてや なくほととぎす)
(釈)鶏が初めの時を告げたのち雨が降り始めた。 雨に誘われてであろう、時鳥が鳴いた。
忠廣解説
この哥の作意、寛永十癸(みずのと)酉(とり)年四月十六日の夜、鶏が初めて時を告げた後に時鳥が鳴き出し、この奥里では今年はこれが初音だと思い聞いているとき雨が降り出したので、この雨に誘われてであろうか、今夜郭公の声がしたのだと思い続けて、その場ですぐにこういう事を書きつけて、二十六日の哥にしたのである。
*忠廣公は「郭公」、「時鳥」の両漢字を「ほととぎす」と読んで同一視しているようだ。本当は違う鳥であろう。国文学の世界では同じ鳥ということになっているのだろうか。忠廣公がこの日の夜に聞いたのは、時鳥(ほととぎす)の方であろうと思われる。また「鶏のはじめの時をつげし後」とあるが、これが夜であるのも良くわからない。わかる人は教えてください。(加藤注)
同二十七日
171.ほととぎすなきつるかをの聲きけば ねられぬ夜はの思ひかさなる
(ほととぎす なきつるかおの こえきけば ねられぬよわの おもいかさなる)
(釈)時鳥の鳴いている顔の声を聞くと、寝られぬ夜半のつらい思いと重なる。
忠廣解説
この哥の作意、郭公(かっこう)の声、二つ三つほど鳴くのを聞いていると「どちらの方の空で鳴いているのだろう、どちらの木に止まって鳴いているのだろう」などと思い、物思いで寝られぬ夜だったので、時(ほと)鳥(とぎす)の鳴く声を聞く時にも、あれこれの色々な和歌の中でも「どちらに行くのだろうか」などと、物思いをつづけたので、時鳥の声を聞いて尚も思いをかさねることとなったのである。このような次第で書いた哥である。
*ここでは郭公と時鳥を区別しているようだ。原文にある「時鳥のなくこゑをきくにつけても、これかれかくことのはのさまにも、いづちゆくらんなどゝ」の「これかれかくことのはのさまにも」が分からない。この翻訳はどうしてもいただけない。後で直さなければいけない。(加藤注)
同二十八日
172.あは水にひかりすゞしくとぶほたる おもひに浮身こがれぬものや
(あわみずに ひかりすずしく とぶほたる おもいにうきみ こがれぬものや)
(釈)澄んだ水辺を涼しげな光をともしながら飛ぶ蛍は、赤々とした思いにうき身のからだを焦がしはしないのだろうか。
忠廣解説
この哥の作意、昔の和歌には物思いに身を焦がす蛍や、火と見立てた歌もあるようだ。
この哥の、物思いにたとえた蛍火もすずしく見えたので、ひとは物思いに深く深く沈み、しかし心の内なる炎はすずしくなければ誰が分かってくれるだろうか、と思ったために蛍がすずしい光に見えた姿をうらやましく思って、このように書いた哥の心ばえなのである。 一つのは本来心を持っていない虫の事を自分にはできないことと羨んだのかもしれない。二つ目は光に見えたことを言うについても最後に「や」をおいた意味は「夜」と言えることにも通う下心もあったのだろう。この哥の形は、吉野山を眺めるような澄んだ心がある歌ではないか。
*編者の徳川義宣氏が「参考」として挙げている歌がある。
聲はせで身をのみ焦す螢こそ言ふよりまさる思なるらめ 源氏物語 螢
声を出さずに体だけを焦がす蛍こそ、言葉以上に熱い思いを語っているようだ。(加藤釈)
声は立てないでわが身を焦がすばかりの蛍の方が、あなたのように口に出しておっしゃるよりも深い思いをいだいていることでしょう。(源氏物語四 新潮日本古典集成)
私の訳は、逐語訳に近いと思っていただいて良いと思います。それで二つの訳を並べて
見ました。(加藤注)
平成30年1月29日
この稿続く