同三日

177.戀しさを誰にかたらんいはつづじ いはねば花の色もしられず

  (こいしさを だれにかたらん いわつつじ いわねばはなの いろもしられず)

(釈)誰もいないさびしい岩場にひっそりと咲く岩つつじよ。人に言わなければお前のその清楚な美しさは誰にも知られない。

忠廣解説

又は「誰にかたらめ」(恋しい思いを誰に語るのだろう)とも。「色も見えなく」(その花の美しさあでやかさも見えない)とある詞章の続きもあった。

この哥の作意、別れてきた人々を恋しいと思って枕詞にして書いた歌であろう。人里離れたところであれば、どんな美しい花ですら人の目に入らないように、人が物を言わなければ、その人の思いや心も他の人に知られることはない。

懐かしい恋しい人達を花に差し替えて、その恋しさを一緒に語る友もいないので、どうしても言うことのできない心の内を思うそのままに、その美しさが見えない花の心だと。深くは心、心。

 

訳者解説

忠廣公は別れざるを得なかった人たち、法乗院とその子供たち、崇法院とその子供たち、熊本に残った家臣たちとその家族、江戸屋敷の家臣たちとその家族たち、今となっては存在が不確かながら熊本にのこしてきたかもしれない一人の女性への恋しさを心の深くに秘め、「いわねば花の色もしられず」との思いで歌ったものである。しかし、公儀をはばかって心の底の深い思いは語られることはなかった。

 

*編者注に、以下の二首が挙げられている。

「参考」古今 巻十一 戀歌一 讀人不知

思ひいづる常磐の山のいはつゝじいはねばこそあれ戀しきものを

(訳)あなたのことを.思い出す時は、常磐の山の岩つつじではないが、口に出して言わないだけで、本当は恋しくてたまらない。)訳は、新潮日本古典集成P186より引用。

(加藤注)

 

同四日

178.うきよかなねられぬ夜半に鳴音きけば 聲はかわらぬ山ほととぎす

(うきよかな ねられぬよわに なきねきけば こえはかわらぬ やまほととぎす)

(釈)いつも変わらぬこの憂鬱な気持ちはまさに浮世そのもの。寝られぬ夜半にふと時鳥の声が聞こえた。その声の涼しさ鮮やかさはいつもどこでも変わらぬ美しさだった。

 

忠廣解説

この哥の作意、この頃も浮世の憂鬱な気分の日を過ごしていたが、寝られずに起きていると、この奥山里の山辺の方でほととぎすの鳴き声を聞いて、浮世の私と違って世の中は筑紫も中国もこの奥山ざとも、鳥の鳴き声はどこも変わらず、時鳥も変わらぬ声で鳴いているよと思って、こんな鳥の鳴き声を聞くにつけても、また人の上においても嫌だと思えることはどこであっても嫌には変わりなかろうと思って、鳥の声も変わらぬようだと云う気持ちでもってこのように書いたのである。

 

訳者解説

自分は憂鬱な気持ちで夜も寝られない状態であるのに、時鳥はいつもと変わらぬ澄んださわやかな声で鳴いていることに驚きを感じている。これは大きな違いだが、時鳥の声が変わらぬ真実であるとすれば自分の憂鬱な気持ちも否定しようのない真実であると納得しているのである。しかしそれは理屈で、自分の暗欝な心と関係なく、時鳥のさわやかな囀りの声に目が覚めるような感動を覚えているのであろう。

 

179.やがて世にでてかたらめ奥ざとを のきばのせうぶ忍ぶこゝろに

  (やがてよに でてかたらめ おくざとを のきばのしょうぶ しのぶこころに)

 (釈)軒場に植えた菖蒲の花を偲びながら忍ぶ思いを、やがて世に出る日にはこの奥ざとのことをもしみじみと語り合いたいものだ。

忠廣解説

この哥の作意、五月五日に軒場に菖蒲という草花をさしておいたので、菖蒲という言葉を連ねて書いた塵躰和歌集である。

 

訳者解説

忠廣公は人に自分の思いを語ることはできなかったのだろう。やがて許されて世に出ると云う思いは、密かに心の奥深くに忍ばせておくほかなかったのであろう。菖蒲の花が咲く庭の中にあっても。

この稿続く。

平成30年3月1日

*私のつたない翻訳を、いつもお読みいただきありがとうございます。是非ご指摘など頂きたいと存じます。 ご感想をいただけたら幸いです。(加藤)