同(五月)九日

184.山がらす子をそだてぬる鳴ねには なにゝかゝらんこずゑなりけり

  (やまがらす こをそだてぬる なきねには なににかからん こずえなりけり)

(釈)子を育てている山がらすの鳴き音には、子末(こすえ)への不安で悲しみの響きが感じられる梢(こずえ)(木末)だなあ。

 

忠廣解説

この哥の作意 この路の奥里の山際に、うるしの木にカラスの巣をかけたのがあった。この里の柴垣や西の方の垣の際に、このカラスが巣をかけて子を育てているのだが、少しの物音にもカラスどもが騒いで巣のある木の梢に止まって悲しみに焦がれる鳴き音を立てる。それを見聞きしていると「子供たちの末々に、確かな頼みがあるだろうか」と心細く思う。また木末(子末)とかけて詠んだものだ。からすの子に後々何が起こるか親が子を思う気持ちや、愛はこのようなものたちにもあるのだと思う心を詠ったものだ。

訳者解説

どんな小さな生き物でも親は子を必死で守ろうとする。からすでも雀でも変わらない。忠廣公は生き物の子や親を見るとどうしても沼田や高山にお預けになった子供たちのことを思い出してしまうのである。最後に、「皆々言葉つゞき也」とあるが、「こづゑ」=子末・木末のことをさして言っているのであろう。他にはないように思う。

 

同(五月)十日

185.蛍とぶ庭のかたゑのすゞしきは さわべの水のほとりかと見る

  (ほたるとぶ にわのかたえの すずしきは さわべのみずの ほとりかとみる)

(釈)蛍が飛ぶ庭の片隅の方がいかにも涼しげである。良く見ると思った通り、沢辺の清水がわき出るほとりであった。

 

忠廣解説

この哥の作意 同年(寛永十年)卯月晦日(四月末日)の夕方に、庭の垣根に蛍が二つ飛び回るのを見て、「その下に水の流れがあるに違いない」と思ったことから、よくよく見るとやはり水の流れのあるところであった。蛍の光がいっそうかげ涼しく見えるのも道理だと思ったのだ。時期的にも夏の蛍なので、ちょうど好い時節の心を読んだ塵躰和歌集となった。

訳者解説

丸岡館の中庭には近くの川から引いた清冽な清水の流れが張り巡らされていた。清正公が熊本の暴れ川の治水に尽力したことはよく知られている。戦国の大名にとってこのような治水工事は腕の見せどころだったであろう。忠廣公も自らの庭に清水を引き入れることに何の困難も感じなかったであろう。

 

同(五月)十一日

186.松風の香とりのきぬのそらだきを おもひぞ出づる五月雨のころ

  (まつかぜの かとりのきぬの そらだきを おもいぞいずる さみだれのころ)

(釈)松風をそらだきしていて匂いを袖に触れさせた時、ふと江戸屋敷での五月雨の降る日のことを思い起こした。

 

忠廣解説

この哥の作意 同年卯月晦日(寛永十年四月末日)、「松風」と名つけた香を取り出して空だきしていたのを、その匂いを止めてわが袖に触れさせた時に、この松風という名について昔のことを思いだした。「五月雨」という雨の事や「村雨」という雨のことを言葉続きに、懐かしく面白く心に思いだした。「松風」を取り出して匂いを聞けば昔のことが思い出されると云う心地の上になお思って、これほどまでに遠く隔ててしまったように見える浮世のわたしの心を、なぐさめとしてもこう書いたのである。みなみな言葉続きである。

 

訳者解説

この「松風」と名付けられた香木は忠廣公が江戸屋敷で使っていたものであろう。嗅覚ほど過去の記憶に直接につながるものはない。嗅覚による記憶はたがいに隔たった二つの時間差や道のりを一瞬のうちに取り払ってしまうのだ。忠廣公はその時の自らの境涯の違いに深い感慨を覚えたことであろう。

 「松風」という香木がどのようなものかわからないが、高価なものであったにちがいない。

 忠廣公が亡くなった後のことだが、清正公の曾孫にあたる八代将軍徳川吉宗公は清正公への尊崇の気持ちから、清正公の事績を調べ文物を取り寄せ学ぶことの多かった将軍であった由だが、「寛政重修諸家譜」巻六百四十「阿倍」の項に次の記述がある。「加藤清正『妻子』の研究」(水野・福田)P217より引用させていただく。

『享保十五年十月八日有徳院殿の仰により、父正重が妻の實父加藤肥後守忠廣よりゆづりうけし題目の旗六流及び虎の頭二、伽羅八種を臺覧に備へし處、鷓鶘斑(しゃこぶち)といへる伽羅(きゃら)をとどめたまひ、黄金十枚を賜ふ』

有徳院殿は吉宗公、「父正重」は眞田家お預けとなっていた加藤忠廣の娘亀姫(獻珠院)の夫、記述者はその嫡男正恒。「題目の旗六流」は清正が戦の時に使った白地に黒で「南妙法蓮華経」の文字が書かれた旗六本、「虎の頭二」朝鮮半島で虎退治したことは本当で、その頭蓋骨大小二個、「鷓鶘斑(しゃこぶち)といへる伽羅(きゃら)」インド産の香木で日本では最も珍重された最上の種類ということだ。「黄金十枚」とは「今の千五百万円ほどか」(前掲書)

 加藤家の歴史や、人物関係についてはぜひ水野・福田氏の共著である前掲書をお読みください。

 長くなったのでここまでにします。

この稿続く。

平成30718