同(五月)十五日

190.五月雨のはるゝゆふぐれ庭のおもの 草木の青葉ふかき色かな

  (さみだれの はるるゆうぐれ にわのおもの くさきのあおば ふかきいろかな)

(釈)五月雨の合間の、夕方の庭の眺めの美しさよ。雨露を湛えた草木のいつにも増して深い青さよ。

 

忠廣解説

この哥の作意 同年五月十日の夕方近くに、五月雨の合間に庭を見ると草木の青葉が雨露をたわわに分け持って、「藍は藍より出でて藍より青し」の言葉通り、青さが極まり、いつまで見ていても飽きないその美しい青と、出藍の誉れの言葉を思いながら書いた塵躰和歌集である。

 

訳者解説

「出藍の誉れ」という言葉が普通に使われていたことが注意させる。これまで読んできて、忠廣公について色々なことが分かってきたが、ここでは彼の色に対する感受性の鋭さがうかがわれる。また、187の哥からは音に対する感受性の高さもうかがわれるだろう。

 

同十六日

191.さみだれのいざよい月の面影も うき身もおなじ浮雲の世ぞ

  (さみだれの いざよいつきの おもかげも うきみもおなじ うきぐものよぞ)

(釈)五月雨が降る頃は、十六夜月も雲間から待てども現れない。そう言えば浮身のわたしと変わらないともいえる。まるで浮雲が支配する世の中だ。

 

忠廣解説

五月雨の頃は、空は曇りがちで、十六夜月(いざよいづき)も浮雲に覆われて光も見えない。姿の在処も心もとなく、まるで浮身の身の上のわたしが世に出られずに奥山里にあったのは、埋もれ木が花を咲かせることなく、人に知られずひっそりと月日を送るだけであるのと同じであろう。その心でこう詠んだ塵躰和歌集である。

 

訳者解説

忠廣公は空間も精神も世間から閉ざされた中に住んでいたことが分かる。目に入るあらゆる事象はすべてわが身のありさまに形づけられる。それが配流の身のかなしい現実であったことを誰が否定できるだろうか。

 

同(五月)十七日

192.うき世にはさだまるぎりをとゞめえぬ 人の心ぞはかなかりける

  (うきよには さだまるぎりを とどめえぬ ひとのこころぞ はかなかりける)

(釈)浮世では武士の世界の掟ですら守らせることができない。ひとの心の何と情けないことか。

忠廣解説

又は、「定まった義理も」と。これは寛永十三年二月二十六日の夜、この塵躰和歌集の説明を書くときに、ますます面白い説明が書けると思って筆に任せて書いたものだ。まずこの哥の作意であるが、寛永十年五月七日の日に、代わりの医師が路の奥、丸岡の里に来るのを待っていると、今年の春の頃おいより前の医師が変わりの医師が来るのを待たないで「京に帰っていきたい」としきりに言っていたので、色々気をもむやら、なだめるやらしたものだが、それらは筆にできないほどであった。この一件で、「人の心は今まで当たり前と思っていた人との義理も、このように変わるものなのだ」と、浮世の人の考えも行いもすっかり情けなく思っていたので、このように五月十七日の言の葉としたのである。

 

訳者解説

忠廣公はこの先のところで、家臣を「のがれざるものども」(哥番275)と書いている。主が生きている限り家臣は彼のもとを離れることはできないと云う、無言の掟があったであろう。この医師はわがままで幼稚に見えるが、そんな人物に振り回された自分を忠廣公は情けなく感じたであろう。

この稿続く。

平成3089