2018.08.13 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳(47)英数研究セミナー加藤敦
同(五月)十八日
193.千世万づわが身にうけしたのしみを 心まゝに世に出てすむ
(ちよよろず わがみにうけし たのしみを こころままに よにいでてすむ)
(釈)数千年来わが身に受けたすべての楽しみを、世に出て思いのままに楽しみたい。
忠廣解説
この哥の作意 様々なすべての願い事がかなって、その望みがかなう喜びを思い綴った祝い歌である。
194.時にあひてけふ百人しゅを書き初む なをもよろこびある筆すさみ
(ときにあいて きょうひゃくにんしゅを かきそむ なおもよろこびある ふですさみ)
(釈)おりしも時を得て今日百人一首を書き始めた。身内にわき出る喜びがおのずと筆の勢いとなってくる。
忠廣解説
この哥の作意 よりによってまさにこの日、百人首を初めから書き始めたので、この哥
の初めを今日書き出すと、喜びが身内にわいてきた。百人一首を書いたり読んだりすると、
行く末々までもめでたいことがあるに違いない、と思う喜びの気持ちをこの哥にかさねて
詠んだのである。
訳者解説
忠廣公にとって百人一首は心の鬱を鎮めてくれる神聖なものだったようである。
同十九日
195.世すてても過る月日はとゞめえぬ 春もむなしくなつかしき空
(よすてても すぐるつきひは とどめえぬ はるもむなしく なつかしきそら)
(釈)たとえ世を捨てても過ぐる月日を留めることはできない。春もむなしく過ぎてしまった。いまはもう懐かしいふるさとの夏空だ。
忠廣解説
この哥の作意 同月十五日に、心に思ったことで、今はこの世の人でないが、もう一つは心を静め統一できなかったせいであろうか、春も留めることができず空しく月日を送るばかりで、早くも夏になってしまったよ、と云う言葉続きの哥であろう。それに、今日ある人の命日だったのでその人のことについて、あれこれと瑣末なことまでも思いだして詠んだもしお草である。
訳者解説
忠廣解説がよくわからない。「春もとどめえずむなしく月日をおくりて」と原文にあるが、京都の家臣の努力にもかかわらず、忠廣公が「世に出る」赦しを得られなかったということであろう。忠廣公が心に思ったことは二つあって、これらが混線しているようだ。
一つは、今日があま姫の命日であること。江戸屋敷の頃のことをこまごまと思いだしたのであろう。
二つは、「世に出る」と云う思いを遂げられずに、春を無駄に過ごしてしまった。
同廿日
196.たち歸りまたもきてみよ丸岡の 夏過てはや秋のあはれを
(たちかえり またもきてみよ まるおかの なつすぎてはや あきのあわれを)
(釈)戻って来たのであれば、もう一度よく味わってほしい。短い夏が過ぎるとはやくもやってきた丸岡の秋のしみじみとした情趣を。
忠廣解説
ある医師が江戸と云う所へ行って、すぐに帰って来た。そのことを詠んだものである。
これは古哥の『立歸またきて見ん松嶋やをじまのとまやなみにあらずば』といった心を、
みちのくのことなので、今のこころに思い替えて、このようにつづけたもしほ草なので
ある。
訳者解説
編者、徳川義宣氏の注がある。
新古今 巻十 覊旅歌 皇太后宮大夫俊成
立ち歸り又も來てみむ松島やをじまの苫や波にあらすな
(釈)波が引き返ってくるように私も戻ってこよう、松島よ。それまでは雄島の苫
屋を波で荒らすな。(加藤)
忠廣公が古歌を引用する時、いちいち原文にあたることはなかったかもしれない。「あら
すな」を「あらずば」としている所からもそう思われるのである。
この稿続く。
平成30年8月13日