健一様

冨田氏の「羽生城と木戸氏」を図書館から借りて読んでいるところです。二度目です。前回は「羽生城とその周辺」の詳細な描写に悩まされ、すぐにgive upしてしまいましたが、健一さんとお会いしてから目の行き所が違ってきました。やはり人と会うことが大切ですね。 

10月に、祐輔さんと仙台でお会いになるということ、とても楽しみですね。たくさんの収穫があると思います。その時はぜひ私にも教えてください。

冨田氏の本の巻末に、実に詳細な年表が載っています。これを見ると(ちょっと見ただけですが、)木戸元斎という人が、武将としても第一級であり、また一流の歌人、俳諧連歌師であったことがわかります。また彼の祖父木戸正吉(範実のことか)が和歌の研究の最前線にいたこともわかります。

「文禄2110日、上杉景勝、朝鮮陣中にて、その将士と共に連歌会催す。時に佐竹義宣と共に木戸元斎を召し『師説撰和歌歌集』を講せしむ。」とあります。

陣中で連歌会とは驚きました。それだけでなく、和歌の講習会もあったのですから。これが戦国武将の姿なのですね。笑ってしまいますね。

当然、総司令部のあった名護屋城では、木戸元斎は徳川家康、酒井忠勝公、あるいはその父とも交流があったというわけですね。

その後の人々の行末が、この時の絆でつながっていたわけですから、酒井忠勝公が忠廣公を大切にし、忠廣公が、「塵体和歌集」の中で、「わが友」と言って名前を隠している人物が、酒井忠勝公であっても少しも驚かないのです。

祐輔さんにはまだお会いしたことありませんが、よろしくお伝えください。

敦 拝