同五月二十九日
(206)いろいろの花のあやめものきのつま ことしも夢に過る五月雨
(いろいろの はなのあやめも のきのつま ことしもゆめに すぐるさみだれ)
(釈) あれほどあでやかに盛んに咲いていた花々も、いつしか庭の片隅に散り敷くつまとなり、今年も夢のように過ぎてしまった。いまは五月雨が降りしきる。
忠廣解説
この哥の作意、色鮮やかに咲いていたいろいろな花も、しばらくの間咲いていると、いつの間にか花びらが方々へ散り失せ、軒の下のつまになってしまったのを見て、その様子がまるで今まで夢を見ていたように思い、浮世の身をいっそうはかないものに思って、また、花も愛でずに奥里の草屋の内ばかりにこもって、月日が過ぎるばかりに暮らしていると、はやくも五月雨の季節も夢のように過ぎていくのを感じ、世の中のうつりゆきをはかなく思って詠んだもしお草なのである。形よく吉野山の眺めの出来だ。
訳者解説
ここに出てくる花は櫻であろう。満開の櫻がまたたく間に散ってしまったのを自らの境遇に重ねて、夢と感じているのであろう。「哥の作意」は、肥後熊本の城主から一転して、みちのくの「奥里の草屋」の主となってしまったわが身の上の現実を、夢としか言いようがない忠廣公の思いをよく伝えている。
「あやめ」は菖蒲ではなく、文目(あやめ=もよう、色合い)と捉えて訳してみた。
寛永十癸(みずのと)酉(とり)年六月朔日
(207)みな月にけさ見る雪の氷ほどに 思ふ中をば契そわまし
(みなつきに けさみるゆきの こおりほどに おもうなかをば ちぎりそわまし)
(釈)冬の間に降った雪が融けることなく固く氷になって、六月の朝に持ってこられた。妻との愛もこのように硬く変わることなく契添えたいものだ。
忠廣解説
この歌の作意。出羽の国の奥山里では、六月の一日、雪の氷を山々から取り寄せて祝いにもてはやしていたので、この雪の水が今まで融けずに堅く見えるように、氷に詰まった妻への愛が永遠に添い離れることなく契りたいものだと、法乗院の身の上を思い出して詠んだものだ。妻への深い思いを書いた。
訳者解説
氷を見、そこに閉ざされた過去の歴史が今もそのままそこにあることを詠ったものだろう。
見るものすべてが家族や妻への思いへとつながる。堅く凍った氷を見て、その中に妻への愛が色褪せることなく保存されているという発想につながるのは、私たち現代人と異なるところはないと思える。
寛永十癸(みずのと)酉(とり)年六月二日
(208)我が庭のつつじの花くれないも うき世契か色うすくも成る
(わがにわの つつじのはな くれないも うきよちぎりか いろうすくもなる)
(釈)南庭に咲くくれないのつつじの花の色も、浮世の契と同じように日がたつにつれて色褪せていく。
忠廣解説
南庭にある真っ赤なつつじの花が咲き始めた時から徐々に花色が薄く変わっていくように、浮世の事なので、こうばしみ人のわが妻への思いも契も薄くなり、別れた時のことを思い出すとつつじの花色が薄くなるのと同じことのように思い書いたものだ。
訳者解説
この歌は前の歌とセットにして読むべきであろう。妻と別れてから一年。自然の流れでは記憶は薄れる。前の歌は薄れそうになる記憶を目覚めさせたものとみることだができるだろう。
平成31年3月21日で止まっていた。4年と2か月ぶりの再開である。
令和4年5月31日
この稿続く。