2022.06.14 加藤清正歴史研究会
加藤忠廣「塵躰和歌集」全訳 (55)
同七日
(214)みし夢も南枕の夏の夜を 思ふ心もつくしかたなみ
(みしゆめも みなみまくらの なつのよを おもうこころも つくしかたなみ)
(釈)夏の夜、遥か南の懐かしいふるさとを夢に見、はかないわが思いは筑紫潟の波のごとくかそけし。
忠廣解説
もう遠い昔のことのように思われる。夏の頃遠いところで見た夢心地を思い出し、今は何もかもがはかなく頼りない有様。その同じ枕の上のあわれな一睡。わが身が葦のようにはかないもののように思い、あらましを書いたものだ。
訳者解説
パスカルの「パンセ」の中にある一説と同じだ。
「人間はかよわい一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」。洋の東西を問わず人間は同じことを考えるもののようだ。たまたまパスカルも忠廣公も16世紀初頭のいわば同時代人だった。
しかしパスカルは「よく考える」ことを推奨する哲学者であったから、このすぐ後に壮大な人間観が語られている。閑話休題。
季節が変わると大気の質感、風の香りなどが私達の五感を刺激し、それとそっくりな過去の記憶が突然よみがえることがある。そういう痛ましい思い出が忠廣公をさいなみいたたまれない思いにさせるのであろう。
寛永十癸(みずのと)酉(とり)年六月八日
(215)あつき世のうらめしかりきささや関 いまこゆる道の空ものどけさ
(あつきよの うらめしかりき ささやせき いまこゆるみちの そらものどけさ)
(釈)夏の激しい暑さにかてて加えて、前面に立ちはだかる笹谷関の恨めしさ。今超えようとするとなんという空のうららかさよ。
忠廣解説
去年、道の奥へ行くときに、六月の中頃、毛頭(もがみ)の中に入ると、山中に笹谷(峠)という難所があった。あの最も落ち込んでいた時にこの峠を超えたことを思い出した。徐々に道が広くなり、峠を超えるとこの和歌のような心持になったのであろう。その時のことを思い出しながら書いたものだ。
訳者解説
忠廣公の一行が山形に入ったのは寛永九年六月十六日。江戸を出発したのは同年六月四日なので、ここまで十三日の長旅となっていた。この和歌からはどんなに辛いことがあっても、そこにたまさかの慰安が訪れないという事はない、と語っているようだ。
令和4年6月14日
この稿続く