同十一日

(218)咲き続く庭のつつじを詠がむれば 花色もわかき雨のめぐみに

  (さきつづく にわのつつじを ながむれば はないろもわかき あめのめぐみに) 

(釈)ここ数日咲き続く庭のつつじを眺めていると、ふりまじる雨の恵みで花色もいっそう若々しく見える。

忠廣解説

 同じ月の五日の昼ほどに、庭のつつじを眺めていた。雨が降りまじるようになると、咲き続いていた花がいっそう美しく、色もあざあやかに若々しく、まったく笑っている人の顔のように見えて、こうばしみ人の袖の気配を思いだすようであった。

色もさらに鮮やかで、次々と切れ目なく咲きだす花の思いの強さを思って、春よ、私もお前と同じ思いだ。決して絶えさせてはいけない契を心に、先々お前と会う。

友に見せたい、と心がはやって思い、こう書いたのだ。

訳者解説

 雨にうたれ枝葉をしのらせて咲く数多きつつじの花が、笑っている人の顔に見えた。それはこうばしみ人、妻の顔である。忠廣公は花を見るときそこに家族の気配を感じている。さわやかなつつじの花が風に揺れ雨にうたれて表情を見せると、それが妻の笑顔に見えるのである。これが忠廣という人であり心である。

虚飾もおごりも驕慢も他に対する侮蔑も何もない。花を見てただ美しいと思う、それだけのまっすぐな心を持っていた、そういう人であったことを心にとどめおきたいと思う。

原文に、「友にみせめ」とある、友とは忠勝公である。彼はこのつつじの花も、彼が書いた歌も、酒井忠勝公にみせたいとおもったのであろう。

こう思ったとき、私の永年の疑問が電光のごとく氷解した。つまり、この二人の友が月に五回ほども会い、そこでどのように時を過ごしていたのかという疑問が私にあった。その疑問が突然氷解したのである。

彼らは庭の花々を見て「歌会」をしていたのだ。

歌を詠む、それは武人にとって、戦さの裏表であった。戦さのない今、歌を詠むことは彼らの矜持であり同時に慰めだった。

歌会だけでなく、茶会も。忠勝公とのこのような姿は、トップシークレットであった。当然同行した供の家臣は厳選されたことであろう。そうしてわずかに残った貴重な記録の一つがこれである。

祐輔様

 「塵躰和歌集」をお読みいただきありがとうございます。この中には忠廣公の素の姿が

すべての歌の中に伺うことができます。祐輔様の祖先であり、私の祖先である人がこのような人であったことは、何の疑問もなく素直に受け入れることができます。それ以上にほとんど三百九十年という時間がどこかに消え去ったようにも感じられるのです。

令和4624

この稿続く。