同十三日

(220)岩松の中におい出づる一もとの すすきを見ればこと有りなまし

  (いわまつの なかにおいいずる ひともとの すすきをみれば ことありなまし) 

(釈)岩松の中に葉も良く茂った一本のススキが生えている。このススキを見ていると、この世に何か重要な変化が起こっているのだろうか、とそのような思いに駆られる。

(忠廣解説)

この歌の作意。奥里の庭の歌壇のうちに、岩松の木がある。その中から一本のススキが生え出て、葉も多くつき、岩松の根よりも元木に多くおい出で、まるで松の一部になっているように見える。何やら私の心を騒がせる怪しい眺めだったので、このように見立て書いた塵躰和歌集である。

(訳者解説)

忠廣公はススキが自分で、岩松は時の権力者だと、分析的ではなく直感的に感じたのであろう。大げさなことは何も書いていないが、そこに光明を見出そうとしたのだろう。

 

同十四日

(221)この松はえだ葉もさかゑありけるか こずゑぞきれてつくる松の木

(このまつは えだはもさかえ ありけるか こずえぞきれて つくるまつのき)

(釈)この松は枝も葉も盛んに茂っていたことがあったのだろうか。梢が枯れて繕ったこの松の木は。

(忠廣解説)

又は「こずゑぞきれてつくるなりけり」(梢が枯れて繕ったのであった)とも言う。言葉つづきになっているであろう。この歌の作意。庭に松の木があったが、その木の梢が枯れてしまっているのを繕って置いた。このようなものを見るにつけ、今の世の中の有様もこれと異なるところがないと思う。ただ、本来のもののままであるべきものを真実と虚偽を振り交ぜて様々に脚色し記述する有様は、浮世の汚れたものを飾ることと同じと、万事に思いをいたし、このように見立て思い続けた塵躰和歌集である。

(訳者解説)

忠廣公の思いがけない社会論である。浮世ではものごとを飾り立てて真実の姿を覆い隠すという事であろうか。人の中に出ていくことのない忠廣公の怒りの原因は何であろうか。自らを改易に追い込んだ幕府の虚偽の数々であろうか。それとも、忠廣公の改易を面白おかしく書きたてる大衆の書き物であろうか。あれから一年、もうそろそろ忠廣公の名は民衆の隅々にまでも地に落ち、地を這いずり回っていたであろう。

令和474

この稿続く。