同十五日

(222)ゆふだちの夕顔にのこる花の露 すずしく見てる月の玉ゆら

 (ゆふだちの ゆうがおにのこる はなのつゆ すずしくみてる つきのたまゆら)

(釈)激しい夕立が去った後、夕顔に残った露、美しい花の露。かすかに欠ける十五夜の涼しげな満月。

忠廣解説

 この歌の作意。夕立の雨が降ってのち、庭に咲く夕顔の花の蔓も葉も雨に潤って、花に残った露のけしきがひとしお涼しく見えるようになったので、また今夜満ちてる夜の月影によって、雨の露もなおさらに美しく、涼しく見える自分の心を見立て、このように思いつづけた塵躰和歌集である。

訳者解説

 夕顔の花が夕立の雨で潤い、花に残った夕立の露がいっそう涼しげで、また夜になるとかすかに欠けた満月の十五夜の月の御影によって、雨の露がなおさら美しく目が離せないほど美しく涼しく見えた、その自分の心を詠ったものだ。219番で述べた忠廣公の感動論がここでも語られている。

雨の露をたたえた夕顔の花を美しいと感じるのは自分の心である。それを見れば誰もが同じように美しいと感じる。美しい物を美しいと感じるのは、皆に共通な良い心なのである。

忠廣公はずいぶん永い時間縁側の軒下に端座し、まだ明るいうちの夕立の激しい雨に打たれて揺れ、雨の露を全身にたたえたゆうがおの花を見、迫る夕暮れと共に花も露も刻々と美しさを変え、十五夜の明るい月影に照らされて完璧な美しさに至るのを見届けているのである。

令和478

この稿続く。