同十七日
みなつきの十二夜よ
(224)皆つきの十二夜よひのあまつ空に 月宮近かくおかす寄ぼし
(みなつきの じゅうにやよいの あまつそらに つきみやちかく おかすよりぼし)
(釈)六月の十二夜の宵の頃から、いつものように天の空を眺めていると、月の宮を犯す勢いで寄星がにじり寄っていくのを見た。
忠廣解説
この歌の作意。六月十二日の夜、宵の頃から真夜中前までの間に、天の空を見上げていると月の際近くに星が一つ出てくるのがあった。しだいしだいに、さらに月の際近く寄ってきた。近年珍しいものなので、そのうえ、今年の四月四日の夜にもこのように月の際近くに寄る寄星があった。しきりに寄星が出るのを見るので、十二日の夜の星を見て尚驚き、のちのちの物語にしようと思い、書き記した塵躰和歌集なのである。
訳者解説
十二夜は、輝面が80%を超え、満月まで数日という頃の美しい月である。忠廣公は夕方から真夜中に至るまで、じっと空と月を見ていた。そうして同じ月を見ているに違いない家族のことを慮っていた。その時神聖なる月に向かって、彼は月宮と言っている、一つの星があたかも刺客のようににじり寄っていくのを見たのである。
これは月が恒星を背後に隠す現象、「アルデバラン星食」と呼ばれる現象であった。アルデバランとは黄道にある明るい一等星であるとのこと。
訳者は文系故、天体についてはめっぽう弱い者で、この記事は当然調べて書いているのである。ついでに調べたことを言うと、
- 世界初の星食の記録として、紀元前357年アリストテレスが(月ではなく)火星の星食を記録しているそうである。ソクラテスの二番弟子にして、(一番弟子はプラトンか)、アレキサンダー大王の家庭教師アリストテレス、やはりすごい。なぜすごいか、これを天体の稀な一つの現象としてとらえ記録しているからである。
- 1497年、コペルニクスがアルデバラン星食を観測。アリストテレスの次にコペルニクスが登場する。すごすぎるであろう。
- 日本書紀に舒明天皇が640年アルデバランを観測した記述があるようである。これもすごい。天体を知悉し、その現象に驚きがなければ記録されることはない。
- 寛永十年(1633年)四月四日、および六月十二日、加藤忠廣公によるアルデバラン星食の記録。コペルニクスの発見から136年後の事であった。
令和4年7月25日
この稿続く。