寛永十癸(みずのと)酉(とり)年六月十八日の言の葉にいえへることわり、おくに委書付あり。
(225)うきたびの夢路をへても靏岡に けふぞつきけるこぞのみなつき
(うきたびの ゆめじをへても つるおかに けふぞつきける こぞのみなつき)
(釈)思い出すのも辛い憂き旅の末に、まるで夢としか思われない旅路を経て鶴岡に今日着いたのであった。去年の六月の。
忠廣解説
この歌の作意。寛永九壬申年六月四日に、辛く悔しい思いしかない土地を発って出羽の国の中の庄内というところにこの十八日に着いたことを今日思い出して、浮世を憂き世と思いながら、一年たっても昨日今日の事のように思われ夢のようだった浮世の有様をこのように書きつけておいた塵躰和歌集である。塵躰和歌集とはまさにそういうものなのである。
訳者解説
改易については幾度か書いているので、いつかまとめて書きたいと思う。
同十九日
(226)水月の池の面を思ひ見れば 夏も氷のあるここちすれ
(みなつきの いけのおもてを おもいみれば なつもこおりの あるここちすれ)
(釈)六月の庭の池の面を思い見ると、あまの面影が月影の中に漂っている。ああ、夏も氷が解けずにあるここちがする。
訳者解説
腹違いの姉あま姫が亡くなったのは寛永四年八月十九日。だから六月十九日の今日はあま姫の月命日にあたっている。亡くなったのは加藤家改易の五年前であったから、忠廣公にとってまだ生々しい思い出として消えないのである。五年前に滅んでしまった肉体と面影が、まるで氷に保存されたとしか思えない鮮やかさで忠廣公の眼前に姿を現すのである。
又はかくいへるも、よしのやまか
(227)池水に月のさしいる面影は 夏もこほりしとくるさざなみ
(いけみずに つきのさしいる おもかげは なつもこおりし とくるさざなみ)
(釈)池水に差し入る月影に、あまの面影が夏の間も凍っていたかのような鮮やかさで浮かび、それが徐々に解けてさざ波となっていくようだ。
忠廣解説
又は、初め「とくる氷や夏のさざなみ」としていたが、右のように続けておいた。こちらの方が断然優れていると思ったからだ。
右二首の歌の作意。
奥里に住まう我が庭の池水に、月影が差し入るのを見ていると氷っていた水が融けてさざ波となって池に漂う景色と見立てたのが塵躰和歌集の心なのである。
(訳者解説)
冒頭、「次のように書いても、吉野山のように見事ではないか」とあり、意欲的な推敲のさまを知ることができる。
原文に「いけにただよふけしき」とある。それはあま姫の姿そのものなのである。亡くなった人の霊は自然物に宿ると言われる。忠廣公が思うと、亡くなったその人は忠廣公の前に姿を現す。逆に、亡くなった人の霊が忠廣公のもとを訪れると、忠廣公は自然にその人のことに思いをいたすことになるのである。このように人の思いと霊はつながっているのではあるまいか。
池水に差し入る月影にあま姫のありし姿が鮮やかに浮かんだ。しかしそれは長くは続かないのである。氷のように堅固に見えたその姿は徐々に溶け出し、後はむなしいさざ波となって忠廣公の前から姿を消すのである。
この稿続く
令和4年9月10日