同二十日

228奥ざとはみちのをくなる草庵 月のまがきも柴垣がくれ

  (おくざとは みちのおくなる くさいおり つきのまがきも しばがきがくれ)

(釈)我が住まう奥里は遠い路の奥にある草庵である。縁側に端居(はしい)して夜更けまで月を眺めていると、月の籬(まがき)(現代で言うクレーターの事か)もいつの間にか庵を囲む形がそっくりな柴垣の向こうに隠れてしまった。

 

忠廣解説

 この歌の作意。同十四日の夜端居して、夜が更けるまで縁側にいると、月も傾き庭の面に早くも月影が差し入らぬのを見て、「月のまがきの嶋がくれ」という言葉を思い出して、その古ことのはを受けてこのように、まさに戯れの歌であろうか、思いつけて書いた塵躰和歌集なのである。

訳者解説

 忠廣公が「戯れの歌であろうか」と言っているのは、「月のまがき」がたまたま形がよく似た我が「柴垣(しばがき)」とまさに重なり、その向こうに隠れてしまったことを、遠近二つの似た模様の偶然の重なりととらえ、ユーモアと感じていたからである。長い間私は「月のまがき」が何かわからなかった。月面の柴垣模様、すなわちクレーターの事であろうと今では理解しているのであるが。      

 

同二十一日

229夕暮のよし垣々ね花見れば 月にしら露をけるかほばせ

  (ゆうぐれの よしかきかきね はなみれば つきにしらつゆ おけるかおばせ)

(釈)夕暮れに葦垣根垣根に咲く夕顔の花々を見ていると、夕顔の花々がまるで月にしら露を置いたような顔つきに見える。

忠廣解説

 この歌の作意。庭の葦垣根垣根に、夕顔の花が白く咲きだしているのを眺めながら、このように思い見立てて、この一首の中に夕顔と歌の言の葉を読み込んだ塵躰和歌集である。

訳者解説  

同二十二日

230雲の嶺たちかさなりてふる雨の 軒分南庭ばかりの露

   (くものみね たちかさなりて ふるあめの のきわけなんてい ばかりのつゆ)

(釈)真っ白な積乱雲がまるで雲の嶺のように幾重にも立ち重なって、建物の軒と庭を南北に分け南庭ばかりに雨を降らせている。

忠廣解説

 この歌の作意。六月十五日の昼頃雨が降った時に午前十時ころであった。白雲がにわかに立ち重なり、これを雲の嶺と見立て、わが草庵の軒を南と北に分けて降る雨、北側には降らず南の庭の方まで雨粒で濡れるさまを見て、まさに夏の夕立ちは「馬の背わくる」などというが、これを思い合わせこう書いたのである。面白すぎる。

訳者解説

 「馬の背わくる」とは馬の背の片方に雨が降り、片方には降らないの意。この現象が忠廣公の住まいと庭の上に起こったのである。

 写実的で実に鮮やかな印象を残す傑作であろう。

この稿続く

令和4910