同二十六日

235夏の月やこのもとすずし詠め入る たまのすだれのうち公にほひ

   (なつのつきや このもとすずし ながめいる たまのすだれの うちかうにおい)

(釈)夏の月が照らす木の下が涼しい。玉の簾(すだれ)の向こうから眺めいる人、うち交(か)香(かう)の匂いが漂ってくる。

忠廣解説

 この歌の作意。 同六月十三日の夜、今時分の夕暮れの景色の中で思い出したことがあ

る。こうばしみ人の袖の移り香と、こうばしみ人の顔を結びつけ、さらにこの月影が家の 

中へ差し入る景色とを思い合せると、そのうつり香がこの月影にいっそう趣き深さを添

えていると感じ、この月に照らされた月の家屋としての月屋(つきや)の文字・言葉、それから、玉

すだれの中にうち交う匂い、とを結びつけて言葉つづきの連想から、袖の移り香の人がこ

の家屋の中にいるという考えを一人楽しんだ。やはりこのような言葉つづきの連想の中

に深く思い入れた我が心があったようだ。

そのことは言わない。その心のわけとはただ書き記したことのみである。

 

訳者解説

  「たまのすだれ」は簾の美称。玉の簾の向こうに忠廣公を眺めている人がいる。妻が身

に着けていた懐かしい香のかおりがそこはかとなく漂っている。法乗院が懐かしい香の

匂いと共に一瞬忠廣公の前に姿を現したのであろうか。  

 息の長い忠廣公の一文は、主語と述語が連用形でいくつもつながり、中には主語が明

確でないものもあり、難解である。また現代文と違って「が、の、に、を」などの助詞の

省略が徹底的で、訳者泣かせである。かてて加えてそれに言葉遊びが加わると呆然として

立ち止まるほかないのである。泣き言はこれくらいにする。

この忠廣解説では過去の回想と香りによって喚起された空想とが語られていると思わ

れる。

 なんとしても会うことのできない妻法乗院が日ごろ身に着けていた香りが、ふと忠廣

公の嗅覚に触れたことから、忠廣公は法乗院の顔と姿を身近に感じ、たまたま月の光が家

屋深く差し入っていた簾の静けさの向こうから、妻がこちらを差し覗いているように感

じたのであろう。それらを、人に説明するつもりもなく、「言葉つづき」に言い切ったの

であろう。

この稿続く。

令和4917