寛永十癸(みずのと)酉(とり)年六月二十七日

236)あまの原すめる月影すずしさを はしゐの袖にたのしめる夏

  (あまのはら すめるつきかげ すずしさを はしいのそでに たのしめるなつ)

(釈)大空に澄み切った月影がすずしく、その涼しさを縁側の袖に端居して楽しむ、残り少なの夏。

 

忠廣公解説

 この歌の作意。同十八日の夜、大空が清く澄み渡っていて月影も、さわやかに澄んでいる折、端居する縁側の袖が涼しかったので、この歌は、この暑いころ「今夜のように月影が澄んでいる夜には涼しい時があるので、端居しているのです」と人間のこのうえない楽しみをしみじみと思い出し詠んだである。

 

訳者解説

 月を眺めながら過ごす夜にはいろいろな夜があるであろう。雲一つない夜空の、月の美しい夜、家屋の中のこもった温気を避けて縁先に出てくると、心地よい夜風が体中を包み無上の喜びを与える。忠廣公もこのような爽快な気持ちにしてくれる夜はこの先数えるほどしかないことをよく知っているのである。

 

   同二十八日

237)ゑだもはもさかへてしげる夏のきくの 花さくみれば心すずしも

  (えだもはも さかえてしげる なつのきくの はなさくみれば こころすずしも)

(釈)枝も葉も盛んに繁る夏の白菊の花が涼しく咲くのを見ると、我が心もすずし。 

忠廣解説

 あるいは、「花さくみればころもすずしも」ともある。言の葉の続きがあるであろうかとの書き入れがあった。この歌の作意。夏の菊の花が咲くのを見ると、この暑い折節に枝も葉も青々と茂って、咲き出る花とこの青葉の景色を見ていると、いっそうの涼しさが思い添えられるのである。すると、恋しく思う人の心のうちまでもこの花に清らかに映ってきたのであろうか、花の気色がひとしお涼しく思われ、こう書いたのである。

 

訳者解説

 涼しげに見える夏の菊と言えば、白菊であろう。忠廣公の恋しい人、すなわち白菊の花に比定される妻の法乗院の心も涼しい。その心の涼しさが白菊の花の涼しさをいっそう強めるのであろう。

 

同二十九日

238)やどのにはかげもすずしくしげりあふ すまふ草にやあいてなでし子

  (やどのにわ かげもすずしく しげりあう すまうくさにや あいてなでしこ)

(釈)家の庭影が涼しく、草花が繁りあっている。その中に負けまいと抵抗するすまう草というのが一人頑張っているが、息子のなでし子に相手をさせようか。

忠廣解説

 この歌の作意。奥里の庭に、叢の中で負けまいと抵抗するすまう草というのがあったので、これを眺め思い出すと、なでし子という草花もあった。これは我が子と同じ名前なので、なでし子をこのすまう草を相手に戦わせようと戯れに思って書いた塵躰和歌集である。おもしろ、おもしろ。

 

訳者解説 

 ここで、なでし子が光正公のあだ名であることがはっきりした。光正公は祖父である清正公を尊崇する武ばった子であったことが言われるが、どうも間違いなさそうである。父親の忠廣公がそのことをちゃかして遊んでいるのである。面白すぎる。

 光正公は今で言えば中学一年生くらいの男子。忠廣公とはうまく行っていなかったのではないかという研究者もいるが、そんな心配は全くいらない。全くいらないと重ねて言っておく。

この稿続く。

令和4917