同晦日

239)あつげなれどみなつき過る世中ぞ うつればかわる人のことわざ

  (あつげなれど みなずきすぐる よのなかぞ うつればかわる ひとのことわざ)

(釈)まだ暑い季節だがもう六月が過ぎる頃合いぞ。何事も移ろえば人の思いも行いもすぐさま変わっていくものだ。

 

忠廣解説 

 この歌の作意。世の中の事で変わらぬものはない。夏が秋になるように物の移り変わりが素早いことを思い合せて言の葉にしたものだ。その根っこは浮き世の中のこと、良きも悪しきも移り変わりがあるのは、暑い季節がすぐに寒い季節になっていくことと似ているのではないかと。

 

訳者解説

 世の中の価値観は季節の移ろいと同じように変わっていく。毎日暑い暑いと嘆いていても次第に心地よい季節となり、しかしそれも長続きはせず極寒の冬になり、瞬く間に一面白銀の世界に変わってしまう。季節の変化と同じように、人の心も行いも変わっていくというのである。

 

寛永十癸(みずのと)酉(とり)年七月朔日に歌った。

(240)もしほ草かく玉章もおとづれよ けさぞ始の文月の露

  (もしおぐさ かくたまずさも おとずれよ けさぞはじめの ふみづきのつゆ)

(釈)藻塩をかき集めるように書いた手紙もたくさん訪れよ。文月初日の今朝の雨。

 

忠廣解説

 この歌の作意。七月の初めの朝なのでこの歌を詠んでこのように書き記したのである。硯の水と同じ雨の露が降った。または七月の初めの事なので、露の秋の心を露ばかり(少しばかり)表した歌であろう。もしお草(書く)-玉(たま)章(ずさ)(手紙)、文月(書く、硯)-露(雨、水)のように言葉が寄り添う歌のさま、まさに秋の頃のことを表す心が第一の塵躰和歌集なのである。

 

訳者解説

「言葉つづき」と言えばこの歌もそうであろう。最後まで続けると、もしお草(書く)-玉章(手紙)、文月(手紙)-露(雨、水)、硯(手紙、書く)-水(雨)、文月(手紙)露(雨、水)となる。

 忠廣公は京都六条本圀寺に集まった家臣からの報告を待ち焦がれていた。あれから一年、忠廣公の心はこの閉ざされた陸奥の里から、はるか京都に向かっていた。

この稿つづく

令和4年9月17日