同四日

(243)あつき時すずしき風を友ねせしは なににたとえぬうき身たのしみ

(あつきとき すずしきかぜを ともねせしは なににたとえぬ うきみたのしみ)

(釈)暑い季節に、すずしい風を友として縁側に端居して寝たのは、何にも比べられない、憂き身の上の楽しみであった。

 

又いはく、かくもあるらし。

(244)あつきとき風ひややかに友ねせしは 何にたとえぬうき身たのしみ

  (あつきとき かぜひややかに ともねせしは なににたとえぬ うきみたのしみ)

(釈)人を叱責し心が熱くなった時、風冷ややかに、風と友寝したのは、何にも譬えることのできぬ、憂き身の楽しみであった。

忠廣解説

 この歌の作意。同じ年の六月二十九日の昼頃、涼しい所に端居してしばらくの間、涼しい風を友のように思いなして、快く休み、ほどなく転寝していた。心の楽しみなどをよく思い見ると起きている時はより一層思いをいたし、このような憂き時には何かにつけて人の行いや、あれやこれやのよろずの事ごとにも受け入れがたく気に障り、やはり心が辛く苦しいゆえに、この憂き世の中のことが増々辛く苦しく、心に受け入れがたいゆえ、「あつき」(厚かましい、恥知らずな)と言葉に出してしまって、同じようにこの頃は暑い時期なのであちこちの涼しい風が吹くところに、涼み心地よく思って休み、居眠りしたことを今この憂き時の浮き身の上に、これほど心地よく思われることは、またこれ以上に楽しみなことはない。世の中の事に関わることのできない私なので、この心地よい心で気持ちをやわらげ寝ることこそ憂き時の間の身の上においては何にも代えられぬ、まさに風流な心の楽しみなのである、などと憂きながらもじっと耐えて、こう思い続けたのが塵躰和歌集の心なのである。

 

訳者解説

 「あつきとき」とは、暑い時と、人を叱責する時に使う言葉の二つの意味があるようである。暑い季節涼しい風が吹き抜ける縁側に横になって転寝する心地よさはだれにも理解できる。高校の倫理社会で学んだ覚えがある、エピクロス学派の快楽主義をすぐに思い浮かべる人もいるだろう。

しかし忠廣公の場合は、快楽主義とは正反対である。心が耐えがたい苦痛でまるでムンクの叫びの絵のように、声を押し殺して叫んでいるのであろう。その叫びが声に出ることもある。それは耐え難い人間の行いを叱責する時である。そんな時彼は縁側に端居し、心の苦痛を押し殺しながら、せめてもの快楽と共に転寝するのである。

忠廣公は陸奥の地で二十一年間生きた。その年月の間にその耐え難い苦痛から解放されることがあったのだろうか。

この稿続く

令和4919