(248)文づきの空かきはれており姫の ゆふべ玉のをうちとけめつゆ

  (ふみづきの そらかきはれて おりひめの ゆうべたまのお うちとけめつゆ)

(釈)七月の夜空は見事に晴れていた。昨夜の織姫の玉の緒はきっと少しく打ち解けたことであろう。

忠廣解説

 又は「露も打ちとけ」とも言っている。心の思いが深く、後に留まりたいという心残りの思いがあるなら、少しは心が打ち解けたことであろうとね、私はそういう心持なので、この吉野山の見事な眺めを前にしているような気持ちの私の心も、あれやこれやも全て推測なのである。

 この歌の作意。八日は後朝(きぬぎぬ)のわかれなので、そのつらい気持ちを思い、織姫の気持ちも男の私が想像できないながらも思い遣ると、一年に一度の契も逢瀬も、思った通りのままであったのではないかと思ったのであるが、しかし今朝の別れの後は、織姫の心はちっとも心満ち給うものではなかったと深く思ったゆえに、このように詠んだ塵躰和歌集である。

訳者解説

 織姫という女性の微妙な心の襞を推し量ろうと格闘した様子が忠廣解説からわかる。この難解な解説文から、いつも夜空や月を友としてきた忠廣公の繊細な思いが感じ取られるのではないか。

 

  同九日

(249)物うさは重なるとしの秋なれど 月にはなれてあかす夜な夜な

  (ものうさは かさなるとしの あきなれど つきにはなれて あかすよなよな)

(釈)暑い夏の改易の日から二度目の秋となったが、耐え難い憂さは私を捉えて離さない。月に慣れ親しみ月を友として明かす夜、私の心は涼しい夜風と共にわずかに解放されるのだ。

忠廣解説

 この歌の作意、路の奥里に来て二度目の秋を迎えることとなったが、ここまで永く住むことになったことで私の憂鬱な心がいや増しになっているが、初秋が来て美しい月を眺め、端居に転寝しながら明かす夜な夜なのわが心、憂き身であるが気持ちが涼み、いつまでも眺め飽きることのない月の光を見る心をこのように書いた塵躰和歌集である。

 

訳者解説

 この忠廣公の文から、忠廣公は自らの配流の処分がここまで永く続くとは思っていなかったことがわかる。京都にいる家臣が行う嘆願運動の成り行きを忠廣公は大いなる期待をもって見守っていたことであろう。二度目の秋を迎えたとはいえ、あの時から14か月、もう限界に達していたのかもしれない。

 しかし同時にもう一つ分かったことがある。「月を詠めて、はしゐにうたたねながらあかす夜な夜なのこころ」、とあるが、これら星々が瞬く澄み切った夜空や美しい月影が、忠廣公の唯一の心の癒しとなっていたことである。そうであればこそ夜ごとに縁側に端居して月を詠め続ける忠廣公の姿に納得がいくのである。

令和4103

この稿続く。