同十日
(250)にはぎくのつぼみにそへてさく花の 青葉のうゑは露のしら玉
(にわぎくの つぼみにそえて さくはなの あおばのうえは つゆのしらたま)
(釈)庭菊の蕾と共に咲く花の青葉の上には、露が白玉のように所狭しと置いてあった。
忠廣解説
この歌の作意、庭の花壇に白菊の花が、蕾が多く混じり青々と繁げる葉の中に交じって咲くのを眺めていると、この暑い折にこの景色が涼しく眺められ、ただ雨の白露が菊の青葉の上に色さまざまに所狭しと置いてあるように見えた私の心を、このように思い続けた塵躰和歌集である。
解説
忠廣公の解説の文章の特色は、見たものを感覚的にとらえ、省略や抽象化をせずに、時系列に沿ってありのままを正直に表現しているところにある。その結果一文がどうしても長くなってしまうのである。
同十一日
(251)夜ふかくもあかぬ契を立帰る あかつきうらみ露おきまよふ
(よふかくも あかぬちぎりを たちかえる あかつきうらみ つゆおきまよう)
(釈)夜更けを通して、いつまでも止むことなく愛し合っていたのに、まだ暗い暁になると、その人は急に断ち、帰ってしまった。暁を恨み雨露もうろたえて置き迷っているようだ。
忠廣解説
この歌の作意、浮世の中の愛し合う二人の飽くことのない愛の行いを断って帰る人を、その時の姿を今になって思いだし、恋しく思い出される我が心ざまをこのように書く塵躰和歌集である。
訳者解説
浮世の中とは、城下の人々が住む地区の事であろう。恐らくどこかの宿で忠廣公は市井の女性と逢瀬したのであろう。明るくなる前に、露見することを恐れた女性によって、激しい愛が、突然断ち切られ、身じまいをして帰っていく女性の後姿を、今忠廣公はいとおしく思い出しているのである。
妻の崇法院は熊本城にいたであろうが、より愛の強い法乗院は江戸であろう。徳川氏が言う「熊本に残してきた」一人の女性とはこの人かもしれない。以前に煙管に喩えられた女性もこの人ではないであろうかと、私は推測するのであるが、謎である。
それにしても生身の忠廣公の姿が劇的にここに現れていたことを、私は祝福したく思うのである。
この稿続く
令和4年10月12日