同十二日
(252)しらぎくの花さきみだれしげりあへば 露をきこぼる青葉とぞ見る
(しらぎくの はなさきみだれ しげりあえば つゆおきこぼる あおばとぞみる)
(釈)おびただしい白菊の花が咲き乱れ、青葉もつよく盛んに繁っているのを見て、まるで白菊の花が青葉の上に置きこぼれる露のように見えた。
忠廣解説
この歌の作意、奥里の北庭にあった白菊の花が、とてもたくさん咲き乱れ、又おびただしい露が今にもこぼれかかるように見えた。この菊は上にはあまり伸びずに脇の方へたくさん繁っていたので、菊の青葉の色が周りを占め、見るからに心も冷ややかになるのでこのように書いた塵躰和歌集のさまである。
訳者解説
忠廣公の関心は、白菊の花よりも脇の方へと盛んに茂っていった青葉にあるようである。茎が縦に伸びていれば露はそれほど多くは乗らないが、横の方に豊かに広がっていたために青葉の上に露があふれるばかりに乗っており、涼し気なその景色が忠廣公の心をつかんだのであろう。
同十三日
(253)かくばかりすみうかひなきよなれども 秋はあかずもながむ月のよ
(かくばかり すみうかひなき よなれども あきはあかずも ながむつきのよ)
(釈)これほどまでも住み憂く甲斐のない世であるが、秋には飽きることなく眺め続けている夜の月であるよ。
忠廣解説
苦しく辛いこの浮世に生身で暮らしていると、日々何の甲斐もない浮身であったなあと、憂き折ごとに思い暮らし、今年も秋となったが、月に向かって月を眺める心こそ一瞬の心変わりもあって、過ぎ去った憂き年月をも思い流してしまう気があるのかと、そういう気持ちを書いた塵躰和歌集のさまであろうか。
訳者解説
月を飽かず眺めることが忠廣公の憂身のかすかな慰めになっていたとはいえ、不自由でつらく苦しい憂き身の上を受け入れることはできないのである。
この稿続く
令和4年10月15日