同十四日
(255)武士の上に礼儀をもり儀太ぞ あまの庵りに物語する中
(もののふの うえにれいぎを もりぎだぞ あまのいおりに ものがたりするなか)
(釈)森儀太夫よ、武士の上の者に対する礼儀を忘れるな。そのあと、あま姫が庵の中で優しく物語してくれたことを思えば。
忠廣解説
この言の葉は七月十四日の所に書き置いた歌を、十二日の夜に夢で見たことなのだからと右の十三日の所に書き置いていたところ、切紙を見ると初めに詠んだ歌の書付があったので、すぐにここ十四日の歌として書き入れたのである。夢心の思いがあまりにも深かったせいか、三年後の寛永十三丙子年三月十二日の夕方に思い出し書いたのである。
訳者解説
この歌の動機は、姉のあま姫ですら自分を城主として尊敬してくれているのに、父清正公の初期のころからの同僚の武士だったとはいえ、森儀太夫には自分に対するやさしさと尊敬心が不足しているという思いが忠廣公にあったことであろう。
もっと言えば、先の夢そのものの二つの鮮やかなコントラストは忠廣公のその思いのあらわれであったと思われる。
寛永十癸(みずのと)酉(とり)年七月十五日
(256)千とせをもすめる月の夜時もいま 光りぞ清く露も色ます
(ちとせをも すめるつきのよ ときもいま ひかりぞきよく つゆもいろます)
(釈)千年にもわたって澄み続ける月の夜。今まさに光が清く澄み渡り、露もひかりかがやいている。
又は
(257)千とせをもすめる月の夜影清く 時しもいまの露も色ます とも
(釈)千年にもわたって澄み続ける月の夜、月影清く今まさに露もひかりかがやいている。
忠廣解説
この歌の作意、今どきの月はいつまで眺めていても飽きることがないという思いがひとしおなので、なんといってもやはり、この月を愛して今日の祝いに眺めた塵躰和歌集の言の葉である。
訳者解説
「けふをいわゐに見侍る」(今日の祝いに月を見ている)とは何であろうか。
寛永十年七月十六日は現在でも広く光正公の命日として知られている。つまり今日は光正公が解放される前日なのである。忠廣公は心静かに明日の解放の日を月と共に祝っていたのである。
同十六日
(258)いざよひの月はこころにかくばかり あきになく虫野辺の露けさ
(いざよいの つきはこころに かくばかり あきになくむし のべのつゆけさ)
(釈)十六夜の月の欠けた部分は心に描いてみるほかない。秋の虫の鳴き声が染みわたる。野辺の露の深さを偲びつつ。
忠廣解説
この歌の作意、十六夜には月も十五日の夜の月よりは欠ける心あるものというが、よく考えてみると、あまり違いはないようだが、言い伝えてきた言葉は道理である。聞く心という事で言えばその通りと思うので、心に「描(か)く」と言える言葉通りに、「欠く」とも読める歌の心なのである。
秋には虫も泣き、露もいっそう深くなり、それでも月は眺め飽きることがない。昔から言い伝えてきたことと、その道理はこのような事にも当てはめて考えてみると、「十六夜の月のさまは全部は見えないが、欠けた部分を心で描くだけである」と言える。すでに世の中で真理として言い伝えていることである、と思いながら詠んだ。
訳者解説
光正公のその日がやって来た。当然のことながら忠廣公には一抹の不安があった。何かの加減で予想外のことが起こったかもしれない。なんとしても見えない部分、まさに十六夜の月のように欠けて見えない部分をなんとかして見ようと、心に描き続けたのであろう。この思い描きは永遠に終わらない堂々巡りであり、ただ遠くで鳴く秋の虫の声が、野辺を渡って聞こえてくるだけであった。
もしこの日が満月であったら、忠廣公は一片の不安を抱くことなく、光正公の解放を確信したであろう。
この日聞こえた虫の声を忠廣公は、塵躰和歌集の最終の歌の中で、再び聞くことになる。その虫の声が何を意味していたのか、このまま歌集をたどっていけば自然に了解できるであろう。
この稿続く
令和4年10月17日