同二十四日
(267)秋風にふきてたなびく草木葉の なみにうかべる清き池水
(あきかぜに ふきてたなびく くさきばの なみにうかべる きよきいけみず)
(釈)秋風に吹かれて落ちた草木の葉が、澄んだ庭の池の水の上に流れのように浮かんでいる。
忠廣解説
この歌の作意、遠くから聞こえてきた言の葉とそっくりに、秋の頃秋風に吹かれた草木の葉が庭に落ち、池の水に細長くたなびくように浮かぶのを、こう見立て読み置いた塵躰和歌集の心ざまであろう。
訳者解説
「きこゑしことのはのさまに(遠くから聞こえてきた言の葉とそっくりに)」がよくわからない。落ちた草木の葉が、細長くたなびいて流れるさまが、光正公の消息を伝える手紙のように見えたのか、乱れ落ちた草木の葉のように崇法院の手紙の文面が千々に乱れていたのであろうか。
同廿五日
(268)あまの神出づる世まもりあわれませ 奥里すみの猶秋ぞうき
(あまのかみ いずるよまもり あわれませ おくざとすみの なおあきぞうき)
(釈)天の原の神様、どうかこの世にあらわれ、私たちを憐れんで、この世をお守りください。奥里に住んでもう秋、耐え難い憂愁の心を思って、どうか。
忠廣解説
この歌の作意、月日を重ねて、二度目の秋が来てしまった。物憂きことはこれまで以上
に募り、草の露の涙のようにとめどなく涙流れるここちであるが、あれから年も経たので、万が一赦されて世に出ることもあるのではないかと、神に頼みをかけて祈る気持ちで、読んだ塵躰和歌集である。
訳者解説
遠く離れた光正公が置かれた予測できない状況の焦燥感から、しかも父親である今の自
分にできることは、祈ることしかないのである。忠廣公の焦燥と不安の思いが極限に達していたのであろう。
(269)あまの神出づる世まもりあわれませ 奥里すみの秋なをぞうき
(あまのかみ いずるよまもり あわれませ おくざとすみの あきなおぞうき)
忠廣解説
または「奥里すみの秋ぞ猶うき」(寂しい奥里に住む秋は耐え難く気が沈む)とも。この二首を右のように考えたので書き置いたのである。
又言う。先の小紙に書いてあった言葉に
(270)あまの神出づる世まもりあはれませ 奥ざとすみの秋ものうけきを
(あまのかみ いずるよまもり あわれませ おくざとすみの あきものうけきを)
(釈)天の原の神様、どうかこの世にあらわれ、この世をお守りください。奥里に住んでもう秋のこの耐え難い憂愁の心を思って、どうか。
忠廣解説
このようにも書いてあった。これは面白い。中でもこの「を」の文字がすばらしく吉野
山であろうと、今日思って入れたのである。このように書く理由はとりわけ、この年の七
月二十五日に手習いで書いていた紙に小倉山庄色紙和歌・百人一首中 天智天皇御製より
安倍仲磨哥まで書いてきたとき、鶴岡から祝言の喜ばしい音信があって、人がやって来た。
ちょうどその時に、このあまの御神の五文字を書いて、お出ししたことがなおなおうれし
く思って、詠んだ歌なので、そのいきさつを書いておいたのである。
訳者解説
原文に、「つるおかより祝言よろこび音信ありて」とあるが、酒井公よりどのような喜ばしい音信があったかは不明だが、たまたま忠廣公は「あまの御神」の五文字をいくつも書いて、神様をこの世にお出しした所であったので、この偶然の稀な喜ばしい一致が、「なをなを悦思て(猶更うれしく思って)」という事になり、忠廣公を勇気づけたという事であろう。光正公のことも、少しは愁眉を開いたかもしれない。
この稿つづく
令和4年10月29日