同二十六日
(271)にほひこそ人にはだふれねたるよの むかし恋き契夢路
(においこそ ひとにはだふれ ねたるよの むかしこいしき ちぎりゆめじ)
(釈)その手紙にたたまれた匂いこそ、肌触れながら寝た夜を思い出す、その時の香り。昔恋しき契、今では夢の中の出来事。
忠廣解説
この歌の作意、つまり同じく七月廿日の夜、寝られずにいるとずいぶん昔のことを思い出して、恋う人の香りの移り香が一人寝の枕に移るような心地がして、その人を恋しく、今夜もなお思い出した。匂うような美しい肌、きよらかな馥郁たるかおりのその人の姿を思い出し、匂やかな花のような顔ばせ、今そこに見るように面影がたちそい、私に物語る様子があって、目覚めていながらも現実のように見ているようだったので、このように書いたもしお草なのである。心の奥深くのことを尽くそうとしてもなかなか尽くすことができないのである。
訳者解説
ここに出てくる匂いやかな女性はだれであろうか。法乗院か、崇法院か、それとも第三の女性であろうか。この歌からはだれとも言うことはできない。しかし「七月廿日の夜」と忠廣解説にあることから、その人が崇法院であることがわかる。光正公の消息を語った「公ばしきふみ」を届けてくれたその人、忠廣公はその香りと手蹟から一年前に熊本城で別れた妻のことをありありと思い出したのであろう。
世上、徳川の女性である崇法院に対する忠廣公の愛情はまことに少なかったように言われる。しかしそうではない。忠廣公は懐かしさから崇法院の手紙を抱いて寝たであろう。
同じように、光正公に言い及ぶことはあたうかぎり少なかった。何か確執があったのではないかと言われる。数え歳でまだ十三歳にもならない少年と確執などあるはずもないのである。
同二十七日
(272)ひとりねのねられぬあきのよいやみぞ おきゐて月をながめ友せし
(ひとりねの ねられぬあきの よいやみぞ おきいてつきを ながめともせし)
(釈)一人寝の寝られぬ秋の宵闇の頃、起き上がりいつもの端居で月を眺め、月を友とした。
忠廣解説
この歌の作意、つまり同じ廿日の夜、あれこれ思い出していると、夜更けてしまい私一人が起きていて、庭を見ていると、廿日の月だったので、端居にも月影が差し入らずただ空を眺めはるか昔のことを思い、空を眺めていて思うことは、このように一人起きている時こそ夜が更けるままに、ようやく出てくる月を眺め、一人寝の物思いの友にはなったね、と浮世は物憂いものだが、月にたわぶれてこう書いた言の葉こそ、ひとしお、さらに「ながめ友せし」とした言の葉がまず第一に見事な吉野山の眺めと言えるであろう。
これについてね、今思い当たることがある。塵の中にも本物の桂の木が入り混じっていることもある、ということもあるのではないか。塵の中には玉も何でも交じっていると思うべきではないか。
訳者解説
忠廣解説の第二段に、「塵の中にもまさ木のかつら」が引き混じってあるかもという事が書かれている。ここでなぜ「塵」の話になるのかよくわからない。一つ考えられるのは、この作品の名が「塵躰和歌集」であることと関係あるか、という事だけである。そうであれば、この歌集は、「塵を集めた」作品集という事になるが、それはあまりに卑下しすぎと言えるか、それでもその中に「まさ木のかつら」が混じっていると考えれば、謙遜の中にも一定の自負が含まれているという事もできる。
もしかしたら、毎日のように書き続けてきた和歌を一つにまとめる言葉として、「塵躰和歌集」という言葉は、忠廣公の心の中で既に鳴り響いていたのかもしれない。
この稿続く
令和4年10月29日