同年八月二日の歌に言う。

277)小櫻の青葉露とふ成る木つき にほひもにたりおなじ花色

  (こざくらの あおばつゆという なるきつき においもにたり おなじはないろ)

(釈)小櫻ももう青葉に露を置く木(き)姿(すがた)になってきたようだ。気品も母親に似て表情やそぶりもそっくりだそうだよ。

忠廣解説

この歌の作意、前々から詠んできた歌に「小櫻」という名を使っていたことを思い出して、いま、わが子の小櫻の年頃、背丈がのび、しだいしだいに私の目に浮かぶ母親に似てきて、顔ばせも大人びた気品があり姿かたちもよく似てきたと言うことだ。醸し出す雰囲気も早くも似ているそうである。小櫻の木姿がまがうべくもなく同じ形になっていたそうなので、今は山影とまりざくらの妻の面影にそって今聞いたばかりのことを忘れる暇なく思い出して、詠んだもしお草である。

 

訳者解説

 小櫻は亀姫である。様子から判断すると五歳くらいであろう。改易からとうに一年が過ぎ忠廣公は我が子がどのように成長したか知らないのである。助動詞「けり」には1、気づき 2、伝聞 3、回想 4,詠嘆の意味があるが、私は2の伝聞で訳した。

 光正公の吉報を届けた家臣たちが、上州沼田にいる亀姫の成長の様子も同時に知らせたのであろう。であればこの家臣たちは光正公に従った若い家臣たちではなく、「其外京に居侍る、のがれざるものども」(「ども」は単なる複数形)と考えるべきであろう。

彼らは忠廣公の死によってもたらされた加藤家断絶までの二十一年間を、京都本圀寺で加藤家の財産を管理するだけでなく、京都から鶴岡、飛騨高山、上州沼田、江戸を限りなく行き来していたのであろう。

 最後まで残されたのは、忠廣公の死後四年目にしてようやく解放された沼田にいた小櫻すなわち亀姫であった。その時二十八歳になっていたものと思われる。薄幸の姫であった。

その姫を沼田まで迎えに来たのはこの「のがれざるものども」である京の家臣たちであった。京都で管理していた加藤家の金銀財宝はすべてこの薄幸の姫君に預けられた。それが彼らの栄光ある最後の仕事であった。

 

同じく二日、またまた重ねて歌に詠んだ。

278)八重ざくら匂いをうつせ小櫻に 面影袖の今夜恋しさ

  (やえざくら においをうつせ こざくらに おもかげそでの こよいこいしさ)

(釈)八重櫻よ、あなたのいつもの香の匂いを小櫻に移してください。私の袖に小櫻の面影が浮かび、今夜、恋しさがつのるばかりなのです。

忠廣解説

この歌の作意、この歌の書き出しに八重櫻の哥又は小櫻の哥を、奥に人物を潜ませて書き込み、言葉でも匂いのことを書き入れながら、今夜小櫻を詠むのに小櫻の面影ばかり心に浮かんでくることがあまりに頻繁なのに気が付いて、面影に小櫻の匂いの方も移り止めよと願って、八重櫻の歌言葉を入れると、小櫻の面影がますます恋しく思われて、小櫻に袖を重ねて物を思い、あれこれ詠んだ哥である。

訳者解説

 原文に「思ひ出で」、「おもひ出て」が合わせて四か所出てき、これらを一つに訳すと意味不明な日本文になってしまうので、すべて訳しわけることにした。

  • 面影ばかり心に浮かんでくる
  • 移り止めよと願って
  • 気が付いて
  • 物を思い

 この翻訳もまさに終わろうとしている時に、いまさらと言えばいまさらなことだが、このことにもっと早くに気づいていれば、もっとましな訳文ができたかもしれない。

 八重櫻は法乗院、小櫻は亀姫を指していることはもうお分かりの通り。忠廣公は家臣から小櫻の成長ぶりを聞かされ小櫻とのいろいろな場面を思い出し眠られなくなったのであろう。

それにしても「面影袖の今夜恋しさ」のような煮詰まった表現は、主語や所有格が不明なので、訳者泣かせであるが、忠廣公の得意とするものであろう。

光正公が無事「世に出た」ことによる影響であろうが、忠廣公の歌の調べが、急に変わりのびやかで鑑賞しやすくなるのである。歌の主題が人事から自然の風景へと変化していくのを、次の歌から明瞭に感じとることができる。それにつれて、我々は忠廣公が優れた自然歌人であったことに思いをいたすであろう。

この稿続く。

令和4115