同十一日
(287)あをかゑで暮にもみぢに成べきぞ 秋も八月の詠むら雨
(あおかえで くれにもみじに なるべきぞ あきもはづきの ながめむらさめ)
(釈)青い楓の葉も暮れになれば美しい紅葉になるはずぞ。葉月になれば急な村雨と共に一気に秋が深まる。
忠廣解説
又は「暮れには」ともある。この歌の作意、八月のことをはづきと言っている。村雨が
降って行く眺めにも、青葉だった楓の木枝の葉も暮れには最後の一枚までも装いを改め紅葉に変わるはずである。八月の初めのころからその木(き)心(ごころ)を眺めていて詠んだ塵躰和歌集のさまである。
訳者解説
青かった楓の葉も秋になるとその装いを改め、末々の最後の一枚までも紅葉となり、村雨が降りすぎていくたびに秋が急速に深まっていく陸奥の季節の変化を詠った秀歌であろう。
同十二日
(288)玉まくずこぼるる露の八月影 野分の風ぞいとど物うき
(たままくず こぼるるつゆの はづきかげ のわきのかぜぞ いとどものうき)
(釈)葛の葉の玉巻く若葉から夜露が零れ落ちる。傾いたはづきの冷たい影、吹きすぎる野分の風のなんという憂鬱。
忠廣解説
この歌の作意、「玉まくず」は、古歌で多く見かける言の葉で、思い切ってその季節の風に言葉つづきにして書いた塵躰和歌集のさまであろう。
訳者解説
「言葉つづき」の意味が依然としてわからない。これを訳し終わるころにはわかっているだろうか、心もとない。この歌も、季節の変わり目を自然の動きとともに劇的にとらえた見事な歌ではなかろうか。
寛永十癸酉年八月十三日の言の葉に
(289)岩松の中にほにいづ一もとの すすきの色もいとみだれごころ
(いわまつの なかにほにいず ひともとの すすきのいろも いとみだれごころ)
(釈)岩松の中に穂が出た一本のすすきが生えている。その穂の糸に乱れが見える。それはだれの心の乱れであろうか。
忠廣解説
この歌の作意、奥山里の庭に、この頃歌壇の中に岩松があった。その松の中に生える一本のすすきの穂が出て、その穂の糸が乱れているように見えたので、こう書いたのである。
訳者解説
岩松の中に気丈に生えている一本のすすきが、よく見ると出てきた穂の中に糸の乱れがあることを発見して、すすきの心の乱れが垣間見えたというのである。その乱れ心とは何であろうか。平静にふるまう忠廣公の乱れ心とは何であろうか。
同十四日
(290)あすはいかに浮世ぞ風に雲そゑば 清き今夜の月詠めおし
(あすはいかに うきよぞかぜに くもそえば きよきこよいの つきながめおし)
(釈)明日の夜は名月だが、浮世ぞ、どうであろうか。風に雲が流されれば名月が見られるであろう。それにしても、今夜は何と澄んで美しい月であろう。いつまで眺めていても飽きない。
訳者解説
明日の夜は名月であるが、浮世の事なのでどうなるか分かったものではない。であれば今夜の月を飽きるまで眺めておきたい。
最善のものを求めるのは当然としても、必ずしも確実に求められるとは限らない。であれば次善のものでもまず、しっかり獲得しておこうという考えの表明のように思われる。
又、小紙に初めに書いてあった言の葉には、
(291)あけばいかにうきよぞ風の雲なれば 清き月影おしみまつみよ
(あけばいかに うきよぞかぜの くもなれば きよきつきかげ おしみまずみよ)
(釈)開ければ明日は名月ぞ。浮世では雲も風次第。今夜のきよらかな月影を惜しみながら、まず見ようではないか。
忠廣解説
この哥の作意、どちらの哥も古哥にあったことを、今宵は八月十四日で名月の前の夜なので、そのことに深く思うところがあって、このように書いた塵躰和歌集の心ざまである。思ったことをなかなか筆で上手に表現することはできないものだ。
この稿続く。
令和4年11月14日