寛永十癸酉年八月廿四日
(303)名のみしてよも末に成る月影を あきぬ心に思ながむる
(なのみして よもすえになる つきかげを あきぬこころに おもいながむる)
(釈)真夜中に一瞬名ばかりの満月になる月影を、心を躍らせながら待ち望み、思い眺める。
忠廣解説
名月を、八月も末になったが、恋しく思い出して、今夜、夜更けて出る月影をも、秋も半ばの月なので、「いつもとは違う月を」と思い詠んだからこそこう書いたのである。
訳者解説
この日の月は明け方に半月(右半分が欠けている)であらわれ、徐々にかけていき、お昼に完全に欠けて新月となり、夕方には半月に戻る(左半分が欠けている)。それから深夜にかけて満ちていき、真夜中に一瞬満月になる。その後翌朝にかけて欠けていくのである。
この一瞬の満月を、忠廣公は「あきぬ心に思」い眺めたというのである。
同廿五日
(304)しらゆふと見まかわしうするゆふ暮の 露にみだるるにはのしらぎく
(しらゆうと みまがわしゅうする ゆうぐれの つゆにみだるる にわのしらぎく)
(釈)白(しら)木綿(ゆう)と見間違えてしまいそうだ。夕暮れの、露に濡れそぼり乱れた姿の、庭の白菊を。
忠廣解説
咲き乱れた白菊が、雨露になびき、乱れてしまったのを、夕暮れに眺めてみるとこれはまるで白木綿だね、と思い続けた塵躰和歌集である。
訳者解説
強い雨風に吹かれて狼藉たる有様になった白菊の花々が、白(しら)木綿(ゆう)にしか見えなかったという悲しい庭の有様を詠ったものだ。そういう悲しい庭の現実を、「しらゆう」という美しい言葉ですくっているようだ。
同廿六日
(305)すさまじきあらしになをもあきそめて くすのふせやもかこひわびつつ
(すさまじき あらしになおも あきそめて くすのふせやも かこいわびつつ)
(釈)すさまじい嵐に襲われると、にわかに秋めいて来た。粗末な楠の伏屋も囲いを作るのに難渋している有様である。
忠廣解説
この哥の作意、八月十日の夜に入るまで、終日嵐がはげしく吹いて、木草の葉を吹く音も草庵も、柴の垣根垣根の木の葉も、皆ちりじりになって吹き舞う様子を見て、もう秋がやってきて暑い日に戻ることはないのだと、我が住まいの草の庵が物憂く、心も沈み秋ぞめいてその思いを詠んだものだ。
訳者解説
嵐が来ると一瞬のうちにそこはもう秋。後戻りすることはないのである。しかも陸奥の秋は短く、すぐにいちめんの白銀に閉ざされてしまう。昨年一度経験しているとはいえ、季節の移り変わりがあまりに急で、粗末な家屋敷の囲いを作るにも手間取っているのである。
この稿続く。
令和4年11月23日