寛永十癸酉年九月朔日のことのはになんいえる。

(310)ながつきはことわりなれや名をかさね たえぬ月影ありあけの空

  (ながつきは ことわりなれや なをかさね たえぬつきかげ ありあけのそら)

(釈)長月(ながつき)は、人も知る、様々な呼び名で呼ばれる。夜長の高空にかかる月の気高さ、夜が明けてもいつまでも去らない有明の月よ。

訳者解説

辞書で調べるまま、長月の異称を書いておくと、よく知られる晩秋(ばんしゅう)、今で言う秋雨が降ることから長雨(ながあめ)月(つき)、菊の季節でもあることから菊(きく)咲(さ)月(づき)菊(きく)月(づき)、夜長で目が覚めることが多いことから寝覚(ねざめ)月(づき)、その他、以下名のみ列挙すると、彩(いろどり)月(づき)詠(えい)月(げつ)建戍(けんじゅつ)月(づき)青女(せいじょ)月(づき)竹酔(ちくすい)月(づき)紅(もみじ)葉月(づき)とある。「名をかさね」の意味を、呼び名がいろいろある、と理解したのである。それにしても一つ一つの呼び名の美しい事よ。人々の長月にかける思いの深さと、思いの様々であることが知られるであろう。

 

又は、小紙に初め書いてあった。

311)ながつきはことはりなれもかさねたえぬ 月影有明の空

  (ながつきは ことはりなれも かさねたえぬ つきかげ ありあけのそら)

(釈)長月(ながつき)は、人も知るように、様々な呼び名で呼ばれる。あざやかな月影、夜が明けてもいつまでも浮かぶ有明の月よ。

忠廣解説

この哥の作意、ながつきと言っている言葉をよく考えてみると、月の名が多数あった月であるので、ながつきと言っている。その名について見てみると多くが趣深い名であるので、こう書いたのである。みなみな、言葉の綾、言葉つづきなのである。

訳者解説

 忠廣解説によれば、九月がながつきと呼ばれる所以は、様々の異称が長々とある、という事になる。また、この忠廣解説から、忠廣公が頻繁に使う「言葉つづき」の意味が「言葉の綾」「言葉の美しさ」であるらしいことがわかったので、その事がわかるように訳しておいた。

 

同二日の哥に、

312)よひのまはきぬたのおとも物まぎれ ふけてはいとどさびしくぞきく

  (よいのまは きぬたのおとも ものまぎれ ふけてはいとど さびしくぞきく)

(釈)宵の間、砧を打つ音はほかの音に紛れながらも途切れずに聞こえるが、夜更けて暗くなりあたりの音すべてが鳴りやむと、その音がなんとも言えぬ孤絶の音となる。

忠廣解説

 又は、「更けてはいとどさびしさぞます」とも書いてある。

 この哥の作意、浮き寝床、心が名状しがたいほどにもの淋しい秋の頃なので、一人起きいて物思いにふけっていると、宵の頃から続いていた砧の打つ音がその音だけが寂しく聞こえてきた。夜更けまでこの音をずっと聞いていた時の気持ちをこのように詠んだのである。

訳者解説

 森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」の中に、武家の妻の仕事として、糸を紡ぐ、布を織って反物にする、着物に仕立てる。武家のどこの家からも家の家内が糸を紡ぐ音が聞こえていたと書いている。鴎外の記述にはないが、反物にした後で、砧で打つという作業が入る場合もあるのであろう。

 ネットの解説を参照すると、「織りあがった布を洗濯して陰干しにした後イモクズでんぷんで布の両面を糊付けして小さく折りたたみ、アカギの台において、重さ4kgのイスノキで作られた木槌で三時間ほどたたく。満遍なくたたくことで、ロウのような光沢のあるなめらかな布に仕上がる」という事である。琉球染織物の宮古上布についての説明から援用した。

 それにしてもこの歌、秋の夜の寂しさを見事に表現していると言えるだろう。

この稿続く。

令和41128