同じく三日の歌に
(313)夜もふけぬ燈の影を詠むるに いとどひとりねあきぞさびしき
(よもふけぬ あかりのかげを ながむるに いとどひとりね あきぞさびしき)
(釈)夜もふけた。枕辺の燈(あかり)の火影を眺めていると、さらにいっそう一人寝の秋の寂しさが迫ってくる。
忠廣解説
この哥の作意、夜が更け行くにつれ、憂き一人寝の枕の近くに置いた燈(あかり)の影を見ていると、物侘しさが迫り来て、心は隅々まで澄み、秋のわびしさ、さびしさもなおいっそう迫ってくるので、自然ひとり寝の床が物憂くなっていくままにこう書いたのである。右の哥「燈のかげを詠むれば」ともしようかと思ったが、これは多くの哥に使われているので、最初の言葉にして書いた。
訳者解説
ひとり寝の寂しい枕もとを照らす燈がひとつ。この枕辺のほの暗い燈は、忠廣公の孤独を見事に表現しているであろう。
同四日
(314)かふばしき袖手枕にぬるならば いつよりまさるながつきのころ
(こうばしき そでてまくらに ぬるならば いつよりまさる ながつきのころ)
(釈)こうばしい香のしみた袖を手枕にして寝ると、いつよりも心楽しい気持ちになる、長月の頃。
忠廣解説
この哥の作意、みちのく里の物憂い住まいにいると、いっそう秋の寂しさが迫り、一人寝の床にあっては物思いで心がふさがれ、恋しい人たちを思い出し、私が想像するとおりであれば、思う人たちと語り明かすことができ、ながつきの頃だからこそ、いつもよりもいっそうながく楽しい時を過ごすことができれば、と思い書いた塵躰和歌集である。
訳者解説
私の訳「私が想像するとおりであれば」は、原文では「思ふやうならば」となっている。忠廣公にとって、恋しい人たちが今どのように暮らしているか本当の所は分からない。光正公も解放されたとはいえ、その後どう生活しているのか皆目わからなかったので、こう書いたのに違いない。
寛永十癸酉年九月五日の哥に、
(315)なげけとて詠る月におもひしる 露のちぎりのわするまぞなき
(なげけとて ながめるつきに おもいしる つゆのちぎりの わするまぞなき)
(釈)眺めていると月が、嘆き悲しめと私に迫ってくる。露のようにはかない契でも、一瞬も忘れることができないものだと、思い知るのだ。
忠廣解説
この哥の作意、「なげけとて」(嘆き悲しめと言って、)の古言の葉の心を、私は今よく思い知る身の上であり、この古言の葉はまさに真実を詠っている。数々のもの悲しい思いは、寝るときに押し迫ってくるのであろう。
訳者解説
忠廣公が「ことわりなりき」(その通り、真実である)という古言の葉は、
嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな(西行 百人一首 千載集)
(私訳)嘆き悲しめと言って月は人にもの思いをさせるのか。いいえ、私が涙するのは月のせいではなく、本当は私の熱い思いのせいなのだ。
先人の翻訳を参考に、私訳してみた。下の句は、忠廣公の視点から訳してみたのである。
原文に「千々に物かなしふ思ひぞぬるときならめ」(数々のもの悲しい思いは、寝るときに押し迫ってくるのであろう)とある、この言葉から忠廣公の孤独の深さを思うのである。
話は飛ぶようだが、ゲーテの言葉に「パンを食べながら涙する」というのがあるのをご存じだろうか。トマス・マンが何かに書いていたのを、私は人間の孤独極まる姿として思い出すのである。ゲーテは、そういうことを知っている人だったと、トーマス・マンは書いていた。ついでだからもう一つ書いておきたい。森鴎外のことだが、彼は晩年の作品に、こんなことを書いている。「夜中に目が覚めて、布団の上に座り一人涙する」と。平凡な一人の人間が、巨匠の孤独を思って、慄然とするのである。
この稿続く。
令和4年11月30日