読人しらす 年中行事歌合七

5.初春の宿の遊ひの折をえて梅かえうたふ声そ聞ゆる

(はつはるの やどのあそびの おりをえて うめかえうたう こえぞきこゆる)

(私訳)初春の頃、お屋敷の庭で管弦の遊びが行われた折、催馬楽の梅かえ唄が聞こえてきた。

元斎解説

特別のお客として、正月四日、五日に、摂政家で役人たちを集ってお遊びになった。その時、催馬楽などを唄ったのである。梅かえと云う唄物が催馬楽にあった。

訳者注記

ウキペディアには、催馬楽とは、「平安時代に隆盛した古代歌謡。元来存在した各地の民謡・風俗歌に外来楽器の伴奏を加えた形式の歌謡で」あり、「多くの場合遊宴や祝宴、娯楽の際歌われた」とのことである。

源氏物語の読者は、物語の中に催馬楽が多く登場することをご存じであろう。

朗々たる歌に聞こえる。和歌では注意されることはないが、おそらく無意識に韻を踏んでいるからであろう。これを現代文に直すとただの散文にしかならないのである。

(はつはるno やどのあそびno  おりをえて うめかえうたu こえぞきこゆru)

 

 

権中納言定家 拾遺愚草二一二七

6.春毎の鴨の羽色の駒なれと今日をそひかん千代の例に

(はるごとの かものはいろの こまなれど きょうをぞひかん ちよのためしに)

(私訳)春ごとに行われる白馬節会に、鴨の羽色の駒を今日こそ引き連れていこう。千代の試しとなるように。

元斎解説

白馬(あおうまの)節会(せちえ)である。正月七日に天皇が馬を御覧になるのである。白馬と書いて青(あお)馬(うま)と読む。物の白さが強い時はあおみがかって見えるものである。春には白と青のふた色がある。馬は日なたを好むものなので、年の初めに先を読めば、邪気を退け延命になるという事である。哥心が鴨に青羽という事なので、羽色の駒とあお馬を読んだものと分かる。古哥にも水鳥の青羽と読んでいる。例年の儀式であるが、なかんずく今年は千代の例(ためし)となるように祝して読んだのである。

訳者注記

白馬節会は、広辞苑には、「宮廷年中行事の一つ。正月七日、朝廷で、左右馬寮(めりょう)から白馬を庭上に引き出して天覧の後、群臣に宴を賜う儀式。この日に青馬を見ると年中の邪気を払うという中国の風習による。本来は青馬を引いたのを、日本で白馬を神聖視したところから後に白馬に変更、字は「白馬」と改めたがアオウマと読む。七日の節会(新年)」となっている。

元斎の解説とほぼ同じであることに驚く。

 

伊勢 古今四五

7.暮と明と目かれぬ物を梅の花いつの人まにうつろいぬらん

(くるとあくと めかれぬものを うめのはな いつのひとまに うつろいぬらん)

(私訳)明け暮れとなく、庭に咲く梅の花から目を離さないでいたのに、いつの間に衰えてしまったのだろう。

元斎解説

家にある梅を読んだとある。という事は明け暮れ見ていたという事である。人間とは面白いものだ。これは教戒の哥である。世の中、油断すればおとろえ、衰は目に見えないという事である。ぼんやりと見ないで、目を凝らしてみるべきところがあるという事である。

訳者注記

 元斎は歌人であり武将でもあったので、歌を読んでも武人の目が光っているようである。

あんなに注意深く見守っていたのに、いつの間に、という思いがある。それは誰にでも起こりうることだ。その人のうかつさを責めるのではなく、人間とは面白いものだ、と得心したのであろう。

この稿続く。

令和41214