権中納言定家 拾遺愚草上一一四 二見浦百種春
18.惜しましな桜斗の花もなしちるへき為の色にや有らん
(おしまじな さくらほどの はなもなし ちるべきための いろにやあらん)
(私訳)桜ほどのみごとな花はない。だからと言って散るのを惜しんではならないよ。あの美しい色は散るためだけのものなのだから。
元斎解説
世上を思うに、桜ほど素晴らしい花はない。桜斗は、さくらほどの意である。色がいっそう優れているのも散るべきためと見える。であれば惜しむべからずである。
なぜかと言えば、孔子の弟子顔(がん)回(かい)は不世出の優れた人物だったので、早世したのである。孔子歎じて曰く、「顔回と言うものあり。学を好めり。怒りを遷(うつ)さず、あやまちをふたたびせず。不幸にして短命、死す。今は即ち亡きなり。」
このことを思って詠んだという事である。
訳者注記
桜の絢爛たる美しさは、その命の短さのためになおいっそう増すのであり、惜しまずにはいられない。しかし、作者は、「惜しましな」、惜しむべからずと言っているのである。桜の美しさの本質は、その秘密はそこにあると言っているのであろう。
顔回について、ウィキペディアから引いておく。
「孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されたが、孔子に先立って早逝した。顔回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという」
権中納言定家 拾遺愚草上三一四 閑居百首春
19.面白く桜咲きぬる此世かなさもこそ空に月は澄とも
(おもしろく さくらさきぬる このよかな さもこそそらに つきはすむとも)
(私訳)なんと晴れがましく豪華に桜の咲くこの世であろうか。いかにも上天に月が澄み渡っていようとも。
元斎解説
上天と下界を詠んだものだ。桜の咲くこの下界の春、おそらくは上天に月が澄み渡っていようとも、花の美しさは月の美しさをしのいでいる。
訳者注記
下界の美が上天の美を凌ぐ。作者の桜の美に対する驚嘆の思いと桜を抱くこの世に対する愛を感じることができるだろう。
定家 拾遺愚草上七六六 十題百首「獣」
20.花さかりむなしき山に鳴猿の心しらるる春の夜の月
(はなざかり むなしきやまに なくさるの こころしらるる はるのよのつき)
(私訳)花盛りの春みなぎる山に、あまつさえ夜の月が美しくさえる下で、むなしく鳴く猿の心は無心と知られる。
元斎解説
猿、空と山に叫ぶと詩にある。まさに春の盛りに月の光さえ明るく趣を添えているのに、どんな思いがあって猿はないているのか。無心に鳴いていることが知れるね。
訳者注記
森羅万象、おそらく、の中に宿る自然の美を理解し楽しむことができるのは残念ながら人間だけなのか、という問いかけなのかもしれない。定家という美の狩人。
晩年の、45歳でなくなった三島由紀の後年をこう言ってよいのかわからないが、三島由紀夫は定家を主人公にした小説を書いてみたいと希望を何かで述べていたことを思いだす。定家と三島由紀夫のすぐわかる共通点は、美だと納得がいくだろう。
この稿続く。
令和4年12月31日