同 拾遺愚草一四一三 関白左大臣家百首「暮春」

25.匂ふより春は暮ゆく山ふきの花こそ花の中につらけれ

(におうより はるはくれゆく やまぶきの はなこそはなの なかにつらけれ) 

(私訳)桜の花の赤い色が目立つ頃、春がくれゆく。散り敷く赤い桜花の中に、やまぶきの花の黄色ほどいたいたしいものはない。

元斎解説

款冬誤綻暮春風(やまぶきの花が誤って蕾を綻ばせる。暮春の風)和漢朗詠集一四〇

やまぶきの花が早く咲くことはない。この花が咲くのは春の暮である、と恨みがましく思ってしまうのである。多くの花が咲き散る中に一人咲く一本の黄色いやまぶきの辛さよ。

訳者注記

爛漫たると桜と桜吹雪の中、一人ぽつんと咲く細く折れ曲がった頼りなげな黄色いやまぶきの花を思い浮かべてもらいたい。

安藤次男(前掲書)によれば、定家がこれを詠んだのは七一歳の時であるという。後年早くから病気がちだった定家のことを考えると、安藤は一言も言及していないが、「自分はこの一本のやまぶきだ」と言っているように、私には思われる。

 

紀のとし貞 古今一三六

26.哀てふ事をあまたにやらしとや春にをくれて独咲らん

(あわれちょう ことをあまたに やらじとや はるにおくれて ひとりさくらん)

(私訳)感動や称賛を他の多くの花々に向けさせまいと、春に遅れて、いま一人咲く桜であろうか。

元斎解説

 卯月の四月に桜を詠んだものだ。春には諸々の木の花は皆同じように咲く。その時咲かないのは、賞賛を後で我一人で独り占めにしようという魂胆で、咲かずにいたのであろうかという事である。花という言葉を使っていないのは上手の業である。但し、「さくらん」といって桜の字を入れているのは用心深く奇特である。

訳者注記

「春にをくれて独り咲らん」というように遅く咲く、桜花の志を評価する作者の思考が面白いのであろう。

 

皇太后宮大夫俊成 新古今一七九

27.折ふしもうつれはかへつ世中の人の心の花染の袖

(おりふしも うつればかえつ よのなかの ひとのこころの はなぞめのそで)

(私訳)春から夏へ季節が変わると、衣替えして夏服に着替えてしまう。世の中の人の心も変わりやすいもの。夏服の袖には今も花さく桜花。

元斎解説

夏の初めの哥として詠んだものだ。どれほど春に、心を桜の花で染めつくし賞玩したところで、季節が変われば衣替えといって脱ぎ捨てるだけのこと。人の心というのは万事このように移ろいやすいもの、そして花模様の袖と続けている。小野小町が、人の心の花といっていることと同じ謂いであろう。

訳者注記

 小野小町の哥。新潮日本古典集成から引用。

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今集 恋五)

(新潮訳)

 

訳者注記

桜が散り季節が変わると、桜を賞玩した人たちも夏服に改めるようにさっぱりと桜のことを忘れてしまう。しかし、夏服の袖には満開の桜が染められているという人々のしたたかさも描かれているようだ。花の落ちた桜の木に背を向けていても心の中にいつまでも咲いているということか。

この稿続く

令和5年18